2007年11月25日

「春の祭典」「ボレロ」の振付家ベジャールさん死去

2007年11月22日20時57分アサヒドットコムの記事より。


【AFP通信によると、「春の祭典」「ボレロ」などで現代バレエに新しい地平を開いたフランスの振付家モーリス・ベジャールさんが22日、スイス・ローザンヌの病院で亡くなった。80歳だった。(パリ)

 マルセイユ生まれ。14歳でバレエを始め、ローラン・プティのバレエ団などで踊った。50年ごろから振り付けにかかわり、ジャン・ローランと結成したエトワール・バレエ団で「孤独な男のためのシンフォニー」(55年)を発表する。


「孤独な男のためシンフォニー」か。
ベジャールのおかげで、男バレエファンあるいは、男でバレエを志す人は増えたのでは。影響を与えたのはベジャールだけじゃないにしても。

「バレエ・フォー・ライフ」は、とってもよかったです。
クイーンの音楽を使っていたのだけど、最初、昔からベジャールがクイーンのファンだったのかと思ってたら、そうではなかった。
フレディが亡くなったあとにクイーンの音楽をきいて、興味をもち、それからバレエをつくった、とどこかで読みました。
昔からクイーンをちゃんと聴いてたんじゃないかと思わせる曲への深い理解にもとづき、かつ、もちろんベジャール自身のオリジナリティあふれるバレエ戯曲(って言う言い方はしないのかな)で、感動したものです。

若い頃、ベジャール自身が踊っている映像なんて、どこかにないかしら。ちょっと見てみたい。


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2007年10月18日

通天閣営業部長の西川孝さんが死去 2007年10月15日20時57分

朝日ドットコムの記事より。

【大阪・新世界の通天閣(大阪市浪速区)を運営する「通天閣観光」取締役営業部長の西川孝(にしかわ・たかし)さんが14日午後10時40分、大阪市天王寺区の病院で肺がんのため死去した。75歳だった。】

去年の11月、所用で大阪に行った時、はじめて通天閣へ行った。
ずっと行ってみたかったのだ。
すごく混んでて、入場制限の列ができていたけど、時間はあったので並んで上った。なんでもその日は、どこかのイベントが中止になったため、予想外の人出になった・・・と入場者の整理をしていた営業のお兄さんが言っていた。
いやーもう大変だーみたいなことを大阪弁でいいつつも、てきぱき手馴れた様子でお客さんの誘導をしていてたのもしかったです。
その兄さんの上司にあたるのが、この西川さん、なのだろう。
(お兄さんは「営業部 ○○」という名札をつけていた気がする)

【大阪が生んだ将棋の阪田三吉をしのぶ「王将祭」を毎年開催。03年のプロ野球・阪神の優勝時には通天閣に虎カラーを施して応援デコレーションにするなど、大阪の町全体を盛り上げるための様々なイベントで裏方の中心となって活躍した。

 年末に近くの天王寺動物園の動物を招いて開く恒例の「えとの引き継ぎ式」では、「いの一番にいじめを追放し、いい年になるよう猪突猛進(ちょとつもうしん)します」(06年末)などと、その年の世相をたくみに風刺したあいさつの口上を作り、人気を集めた。】

アイディアマンだったのね。
展望台からは、天王寺動物園もよくみえる。通天閣側の出口(入り口?)の門が、かっこよくて。
しかし虎もつれてきたのかな?というか天王寺動物園に虎いたかなあ。(動物園は、ささっとまわっただけなので、よくわからず)

通天閣は、それ自体もいいんだけど、ごちゃごちゃした商店街のあのせまい中にたっているからいいんですよね。すぐそばまで迫る新世界の町並みと、モダン入り口の動物園、その組み合わせがすてき。

【大阪市生まれ。初代通天閣(1912年完成)が太平洋戦争中に焼失し、地元商店主らにより再建された56年10月から同社で勤務。87年からは、取締役営業部長として従業員をたばね、半世紀以上にわたり「なにわのシンボル」を支え続けた。 】

お通夜やお葬式も、

【通天閣のおひざ元にある同市浪速区恵美須東2の1の4の「新世界老人憩(いこい)の家」で】

やるそうです。
たった一度行っただけでなんですが、冥福をお祈りしたいです。

通天閣オフィシャルサイト
(ここ↑のトップ画像で手をふってるおじさんが西川さん・・なんでしょうか?)

posted by フタバ at 22:26 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報

2007年03月15日

GS「モップス」の鈴木ヒロミツさんが死去    (2007年3月14日18時59分 読売新聞)

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「俳優」鈴木ヒロミツさんが・・としている報道もあったけど。

【鈴木ヒロミツ氏(すずき・ひろみつ、本名・弘満=タレント)14日、肝細胞がんで死去。60歳。

 告別式は16日午前11時30分、東京都文京区小石川3の14の6伝通院。連絡先は目黒区下目黒1の2の5ホリプロ。喪主は長男、雄大(ゆうだい)氏。

 1960年代後半から70年代前半にかけて、グループサウンズ「モップス」のボーカルとして活躍。「朝まで待てない」「たどり着いたらいつも雨ふり」などをヒットさせた。

 その後、テレビのドラマやバラエティー番組にも出演し、人気を集めた。】



これは結構有名な話だと思いますが、
渋谷陽一が、自分がやってるラジオ番組に彼をよび、「レッツゴーヤング」の話をしていた。
「レッツゴーヤング」というのは、NHKがやってた歌番組で、いったいいつごろやってたんだっけなあ。
ヒロミツさんは、ほとんどが自分より年下の歌手というかアイドル歌手というかバンドもどきというか、えーとそのころ誰がそういうのに出てたのか忘れたんだけど、まあそういうゲストたちを相手に、明るくユーモアのある司会者として番組を進行させていた。
それで最終回のときのスペシャルイベントとして、1曲歌った。
その曲は、私の記憶ではアニマルズのカバー「朝日のあたる家」だったと思うけど、これは思い込みかも。カバーであることはたぶん間違いなくて、とにかくソウルフルな曲だった。いやもうすばらしい声でしたよ。
とにかく、これ1曲が突出してすばらしく、ふだんギャグをとばしている愉快なおじさんがこんなことができるなんて!と、若い出演歌手や見に来ていた(公開番組だったから)観客もびっくりしてたと思う。
私もびっくりした。GSの歌手だったことは知識としては知っていたけど、こんなに実力あったんだ、もったいない、って思った。
でも、その番組内で、誰か若いもんが、「鈴木さんて歌手だったんですね」みたいなことを言っていて、鈴木ヒロミツを歌手だったんですねとはバカ言ってんじゃないよ!と激怒していた。・・・私ではなく、渋谷陽一さんが、です。

その渋谷陽一の番組では、ヒロミツさんぜひ歌うべきですよ!
とかしきりに進めていて、ヒロミツさんもまんざらではない様子。しかもレコーディングの予定があるみたいなことさえ言ってた気がするが、これもまた私の思い込みかも。
(ほんとうに記憶力がなくて)

テレビを見ない生活がすっかり定着してしまったのだけど、ダメ元でNHKをチェックしてみよう。
上記の「レッツゴー」の映像が出ることを期待して。
(出なさそうとは思うけど・・・でもNHKは、芸能人が亡くなると、一応じぶんとこの番組に出たときの映像をつかうから)





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2006年11月01日

訃報:白川静さん96歳=漢字研究の第一人者、中国文学者

毎日新聞ネット記事より。

昨今は、学校で漢文をおしえているのかしら。

学校の教科では、国語と英語だけは、まあ一応得意だったフタバさんですが、漢文はだめだったなあ。

昔、國弘正雄さんのおはなしを聴いたとき、この人のことばは漢文ぽいなあと思ったことがある。通訳(英語→日本語)しているときだとよけいに。
これは、漢文を読んでいた昔の素養によるものだろうなあと思っていた。

漢字発祥の地では、簡単な漢字が今はつかわれていて、そのせいばかりではないだろうが、漢字があらわす世界が古いまま残っているのはむしろ日本の方だ・・・というようなことをおっしゃっていた気がして、著書を何冊かよんでみたけど、まだ、それらしき内容に出会わない。

【苦学して夜間の大学に通い、中学教諭を務めながら卒業。誰にも教わらず、甲骨文など中国最古の文字資料に取り組んだ。大学紛争の最中でも研究室は深夜まで明かりがともっていた。ひたすら古典を読み、文字を論じたが、保守派だとみられ、逆風の中で羽ばたいてきたのだと。

 88歳で文化功労者に選ばれ、94歳で文化勲章を受章した。表彰理由のひとつ「独力で完成した」について、「好きなことを、自らの方法でやってきただけ」「学問は、借り物ではできません。どなたでも独学になるはず」と語った。在野のような立場から、権威に対しても真摯(しんし)に挑んできただけに、「私のような者でも、年金がいただけるとは。ありがたい」とも】

どなたでも独学になるはず。
そうですね、そのとおりだと思います。
とかいって、ちゃんと学問したことあるとはいえないんですが。

【少年のころ、東洋という語に心をひかれた。日本の古代を知ろうと万葉集に取り組むが、もっと東アジア的な視点が必要だ、中国の古い時代を知らなければと考えた。甲骨文や金文の勉強にかかり、古代の文字との長い縁が続いた。】

甲骨文にまでとりくむのはほんとにすごいと思う。


【漢字の使用制限など、戦後の国語政策を批判。漢字がこれほどひどい仕打ちを受けたことはなく、その結果、国語軽視の風潮が生じたという】

新聞の漢字使用制限はほんとにへんてこりんですね。

中国と日本のかかわりは長く、そして、近年、中国は共産党支配になり、日本は、明治維新・日露戦争・中日戦争・日米戦争・高度成長、を経て、両国とも、「昔」と切断されてしまった感があり、それとともに、うまくかかわりあってきたはずの過去の蓄積が、いかされてないんじゃないかなあ。このところ。





posted by フタバ at 23:10 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報

2006年07月13日

7/12夕刊 シド・バレット氏(英国の元ロック・ミュージシャン)

ふわふわと少し不安なポップソングを歌っていた。「ジゴロおばさん」とか。

7月はじめに亡くなっていたらしく、死因は不明だが近年は糖尿をわずらっていたとのこと。60歳だって。

中学生高校生くらいのころはお金がないので、ラジオなんかで流れる1曲ずつでもテープにとって何度もきいていた。レコードまではなかなかいけなかったなあ。ピンク・フロイドは、もっと聴こうと思わなかったんだけど、シドのソロはよかったなあ。何度もテープをきいた。結局レコードもしくはCD化されたのを買ったんじゃなかったっけ。
音楽には、入院してからはまったくかかわっていなかったのかしら。
しあわせにすごしていたのかしら。
RIP。

posted by フタバ at 07:36 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報

2006年05月01日

4月30日 沼田曜一氏

【29日、心不全のため死去。81歳。】

つい最近、彼の出演作をレンタルDVDで見たばかり。
梶芽衣子様の「修羅雪姫」を釈由美子でリメイクしアクション監督にドニー・イエン様を香港から連れてきた映画。
一番かっこいいのは、というか、唯一かっこよくて素敵だったのは、沼田さんだった。
その「修羅雪姫」、2001年の作品で、沼田さんのアクション場面もあった。声がとても素敵で背も高かったし、逆算すると当時76歳くらいなのだけど、全然そうは見えなかった。で、それが映画出演の最後の作品だったようです。

もっと若い頃のだと、東映やくざ映画で悪役をやってるのを時々見た。
「緋牡丹博徒」のどれかで菅原文太をつけねらうちょっとキレてる奴の役とか。
ただ、映画は新東宝のに一番たくさん出てますね。

記事によれば、

【映画「きけ、わだつみの声」(1950年)に主演したほか、多くの映画やテレビドラマで活躍する一方、民話を収集し語り聞かせる舞台を続け、CDや「愛と哀の人間ばなし」などの著作を残した。】

ということなので、自分自身で選んだ『仕事』もしていた人なんですね。
そしてずっと舞台の仕事をしていたから、あのようなしっかりした声だったんだ。

81歳てことは終戦時21歳、まさに「わだつみ」の世代だったんですね。
民話、ってどうしてだったんだろうか。
あと、沼田曜一はまったくの芸名で、本名は全然違う名前(美甘=みかも=正晴さんという美しい名前)だったのは知りませんでした。

決まり文句になりますが・・
冥福をお祈りします。


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2006年02月28日

2月27日 佐々木守

脚本家です。
「ウルトラマン」も書いた人とか。

「ウルトラマン」、おもしろかったな。
フタバが好きな話は、ジャミラという怪獣がでてくる話。
ジャミラはもとは地球人なのだ。
宇宙ロケット打ち上げ実験で失敗し、地球にかえれなくなり、宇宙でどうにかなって、怪獣になってしまったのだ。
失敗自体、公表もされず、ひとりで宇宙をさまよった結果あんな姿になってしまって・・
(どんな姿かというと、丸首セーターのえりを頭の上にひっかけたような状態にすると、似た感じになります。クラスの男子がよくそういうかっこうして、ジャミラだ、とかやってました)
だからイデ隊員は、ジャミラを攻撃したくない。「同じ地球の仲間じゃないか!」と確かいっていた。(フタバの記憶では)

「男どアホウ甲子園」という水島新司が絵をかいたマンガの原作もこの人だった。
絵も話も水島新司の「ドカベン」が好きだったからおつきあい感覚でで読んだことがある。
それなりにおもしろかったような記憶がある。

でもやっぱり「ウルトラマン」ですね。
一番最初のウルトラマンのことだと思うけど、あの番組にかかわった人には、当時こどもでたのしませてもらったフタバとしては、感謝したいです。
やすらかに。
posted by フタバ at 03:18 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報

2006年02月01日

ナムジュン・パイク氏

20年ほど前、韓国へのとっかかりといえば、フタバにはこの人くらいしかなかった。

ミュージシャンとか俳優とか作家とか。
ある外国の、そういう人たちをたくさん知っていて、かつ、その人たちの活動が好きであったり興味があったりしたら、その外国自体にも親しみをもつし、興味も持つ。フタバは少なくともそうです。

今は、20年ほど前とくらべると、韓国について知っていることがずいぶん増えたのではないでしょうか。
そういう意味では、たとえ靖国問題とかあっても、現在の日本と韓国の関係の方が20年ほどまえよりよいのかもしれない。

posted by フタバ at 00:06 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報

2006年01月21日

1/20(夕刊)ウィルソン・ピケット氏

まだ64歳だったんだ。もっと年上なのかと思っていた。

実際、彼のソウルを聴いたことはないけど、曲はひとつ知っている。
In the Midnight Hour。
ロキシー・ミュージックのカバーバージョンで聴いただけなんだけど。

彼(ピケット)、ロックンロールホールオブフェイム入りしてたんですね。
RIP、です。


posted by フタバ at 00:36 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報

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