2009年01月25日

村上春樹さんにエルサレム賞=イスラエル紙

時事ドットコムの記事より。

現代小説というものをあまり読まない私は、世界的にも有名な村上春樹作品を、『風の歌を聴け』『ノルウエーの森』しか読んだことがない。
前者はみんな(というのは、世間と友達)がいいっていうなら・・と読んだけど、感想は「・・ええと・・繊細なのねみんな・・ってこと?」と全くぴんと来てなかった。『ノルウエーの森』はたまたま家族が友達から借りたのが家にあったのを又借りして読んだ。やっぱりぴんとこないし、この「ボク」って人キライ・・と思った。

でも気になるのですよねえ。それは、お気に入りの某海外スターも彼の作品がいいというから、万が一彼に会った時に話題にできるかも(←馬鹿言ってます・・)、などと。とにかく、海外の比較的に若い人に評価されているというその点で、日本人として読んでおかなきゃいけないんじゃないか、と、そういう理由です。
また、地下鉄サリン事件に取材した作品があるというのでそれには興味ある。でもまだ読んでいません。

で、記事の内容。強調は引用者による。
イスラエル紙イディオト・アハロノト(電子版)は24日までに、作家の村上春樹さん(60)が同国の文学賞、エルサレム賞を受賞すると報じた。
 同紙によると、村上さんは2月、エルサレムで開催される国際書籍フェアに出席。市長から同賞を受けるという。 エルサレム賞は1963年以降、個人の自由や社会、政治をテーマにした作品を著した作家を対象に、2年に1度贈られてきた。選考委員会は「村上氏の作品は独自の方法で日本文化と現代西洋文化を融合させた」と評価している。(2009/01/25-00:20)


記事にあるように、これは「作家」が対象の賞であるようなので、具体的にとくにどの作品が、その受賞理由に該当するとは書かれていない。全部の作品じゃなくてあれとかあれとか、みたいなのがあるんだろうけど、先述したように読者でないため見当がつかない。

ほかの記事によると、
同賞は1963年以降、書籍博にあわせて隔年与えられており、これまでにノーベル賞作家のオクタビオ・パス、フランスの著述家シモーヌ・ド・ボーボワールらが受賞している。

とのことなので、長いことつづいたそれなりの賞、なのかな。

また別の記事では、
賞は2年に1度、個人の自由や社会、政治をテーマとした作品を発表した作家に与えられる。これまでの受賞者には米国の劇作家アーサー・ミラーや英国の哲学者バートランド・ラッセルがいる。

 選考委員会は「(彼の)作品は日本文化と現代西欧文化を独特の方法で融合させている。読むのは簡単だが、理解するのは簡単ではない」としている。

ということです。


私が気になるのは、最初の記事で強調したところ。
今、この時期に、エルサレムに行って賞を受けるのか。
【市長】というのは、最近のニュースでも名前をよくみるオルメルト市長のことだと思うけど。
オルメルト氏は「首相」でした。コメント欄でご指摘いただきました。
受賞するのなら、なんて言って受けるんだろう。
イスラエルの現在の反人道的行い(ガザ攻撃・虐殺)について、この賞の選定委員会はどう思ってるんだろう。
村上春樹の受賞の言葉に注目。
(そもそもいくのかしらほんとに。授与する側の報道しかまだ見てないし)

posted by フタバ at 13:54 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(0) | 日本の芸術

2008年05月30日

新宿コマ劇場、年内で閉館

そうだったんだ!
どうも、建物をボロいまま置いとくなあと思ったら。
こういうわけだった。

【美空ひばりさんや北島三郎さんらの座長公演などで知られ、東京・歌舞伎町のシンボル的な存在だった「新宿コマ劇場」が、年内いっぱいで閉館することが28日決まった。

 劇場を経営する興行会社コマ・スタジアムが発表した。

 劇場は1956年12月に開館。58年にはNHK紅白歌合戦の舞台にもなった。江利チエミ、村田英雄、山口百恵さんらがコンサートを行ったほか、新国劇やミュージカルも数多く上演され、大衆文化の拠点として広く親しまれた。

 しかし、「主な興行である演歌歌手の公演の観客動員が目減りし、新企画も思うように出なかった」(同社)ことから、2年連続で赤字を計上。建物を保有するコマ・スタジアムと、土地の所有権を持つ東宝が協議し、劇場の老朽化が目立ち、今後の興行成績の見通しも不透明なため、閉館を決めた。】

そうだったんだ。

知らなかったことその1:
土地は東宝が持っていた。

知らなかったことその2:
演歌公演の動員が落ちていた。

1は考えたらそうかもと思ったけど、2は、なんだかショック。
いや、自分自身は演歌すきじゃないけど、日本では演歌だけは人気があるのがあたりまえと思っていた。演歌が好まれる、そういう土壌が好きではないはずなんだけど・・でもコマの演歌公演が空く、そういう変化がおきているというのは、ちょっと考えちゃうな。

氷川きよし君とか出てきたので、まだまだ安泰な世界だと思ったら。
そうなんだ。
昭和は遠くなりにけり、の一環でしょうか。

コマの斜め前くらいのビルに、「リキッドルーム」があって、ファウンテインズオブウエインが公演したりしていて、でも手前はコマで、っていうのが好きだったんだけど。
リキッドも恵比寿にいっちゃったし。

土地は東宝のものとのことだけど、だからといって、最終公演が宝塚っていうのは・・今までもやってたのだろうか?でもきっと、宝塚のファンは忠実だから、最後の切り札だったのかもしれない。
私の好みからすると、昨年末の「座頭市」を見に行くべきだった。好きな俳優も出ていたのだが主演の人がどーしても好きじゃなかったものでいかなかったのが悔やまれる。

土地は東宝のもの、のつづきをもうひとつ。
コマとミラノ座の間のあの空間は?
あれも東宝?

新宿は、しょっちゅう変化するけど昔からのものも意外にあって、コマもあって当然のひとつだった。
それにしても、思ったよりショックを受けてる自分が少々意外。
コマの建物がなくなると、そのまわりの映画館がはいっている建物なんかも新しくなったりするんだろうか。
あの一体に雰囲気は、ここン十年そんなに変わってなかったと思うんだけど。
なんか淋しいなあ。

みおさめするならやはり9月のサブちゃん公演が狙い目でしょうか。
(・・・でも演歌びっちり公演に実際参加するとやっぱりつらくなりそうな予感)
posted by フタバ at 02:03 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の芸術

2007年01月14日

“モミの木”ホテル残らず

東京新聞ネット記事より。

【東京・上野の不忍池を見下ろすようにそびえる巨大なモミの木−。ユニークな外観で知られ、上野のランドマークとなっていた旧「ホテル ソフィテル東京」(台東区)が近く解体されることになった。建物を買い取った大手不動産会社側が建て替えを決定。都市再開発の波を受けた名物建築は、完成からわずか十三年で姿を消す。 (浅田晃弘)】

あいやー、あそこ、解体されてしまうんだ。
営業をやめてたのも知らなかった。
ホテルなんだから泊ってみてもいいなーと思ってたんだけど。
と、いいながら、菊竹清訓設計であることは、実はこの記事ではじめて知った。それだったらなおさら、泊ってみればよかったなー。

【原点は一九六〇年代にさかのぼる。菊竹氏は建築家仲間の黒川紀章氏らと「メタボリズム(新陳代謝)」運動を展開。建築を生物のようにとらえる、この理念に基づいて、六八年に、幹のような支柱に部屋を枝葉のように配した「樹状住居」のプランを発表した。

 九四年に完成し、「ホテル COSIMA」としてオープンした全八十三室の旧ホテルは、四半世紀を経てやっと実現した「樹状住居」だった。建物の周辺への日照や通風を確保できるのが特徴で、菊竹氏は「(日本でも)高温多湿の風土を無視した西欧風のビルが主流となり、余計なエネルギーが使われている。日本には日本のビルが必要だ」と言う。】

ああそういうコンセプトなのか。
メタボリズム・・・そんなことば、聞いたな。

このごろ、古い建物をのこそうという運動が結構起きるからか、抜き打ち的に発表になった・・・ってことかな、↓を読むと。

【思い入れの深いビルの解体に、菊竹氏は「ホテルの営業終了日に(三井側から解体するとの)連絡が入り、びっくりした。ホテルがだめでも住宅転用は可能なのに、なぜ壊すのか。きっと“真四角”のビルが建つのだろう。経済効率一本やりで、都市環境を顧みない考え方には、憤りを感じる」と反発している。】

住宅転用!
もしそうなったら、建築雑誌とかで宣伝すれば、ぜったい埋まると思う。
菊竹設計の建物に住める!場所も便利!で、人気物件となるでしょう。
あー残念ですね。

日比谷の三信ビルも、なんとかのこしてほしいんだけど。
住宅転用だったらどんなにいいでしょう。

05-03-31_19-15〓??〓〓.jpg

三信ビル内部
(今もこの2階に上がれるかわかりません。1階の喫茶店、いつまで営業なんだろう)




posted by フタバ at 21:35 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の芸術

2006年10月09日

9/24 「仮名手本忠臣蔵」の勘平 東京と上方 表現異なる

【六段目で、家へ戻った勘平が東京では浅葱色の紋服に着替えるが、上方は普段着で、死を迎える幕切れに姑が黒の紋服を肩に掛けてやり、武士に戻れたことを表現する。
・・・(中略)・・・
 仁左衛門はほぼ東京の型で演じる。「理屈からいえば着物も普段着が正しい。家に帰って紋付きなど着ない。だが、そこが役者の気持ちでね。浅葱の衣装は引き立つんだ」と照れる。】


あーわかるわあ〜!
浅葱色、とは、水色みたいな色。誰が着ても良い色だけど、仁左衛門さんならまたいっそう似合いますからね〜。

むかし玉ちゃん(坂東玉三郎様)とふたりで近松ものにでてたころの仁左衛門さん(当時孝夫)はほんとに素敵だった。
悪い男のときの色気と、観念したときの色気がそれぞれすばらしく・・・。

「忠臣蔵」、映画だと、ふつうはオールスター映画であって、誰がどの役やるのかな、というのがおもしろいのだが、「仮名手本」つきの場合、とくに歌舞伎の場合、ちょっとあまりノレないのですね。
でも、10月の歌舞伎座で、仁左衛門さんが20年ぶりに勘平をつとめるとのこと、時間があったら一幕見でもしてみたいです。
posted by フタバ at 10:44 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の芸術

2006年09月24日

人間国宝、文楽の吉田玉男さん死去

訃報です。


http://www.sankei.co.jp/news/060924/bun000.htm

日本の伝統芸能とよばれるものについては、ひととおりチェックしようという心づもりのあるフタバですが、今までのところ、文楽がいちばん好きです。

最初は歌舞伎をみてました。
玉三郎がすきでした。今でも玉三郎ならみたいです。
しかし、そのうちマンネリになり、ちょっと河岸をかえるつもりで文楽に行ってみました。
文楽を好きになる人は、まず人形に魅かれる人が多いそうですが、フタバもご他聞にもれず人形からはいりました。
そこで大きな影響があったのは、やはり玉男さんと吉田蓑助さんです。
なぜ、文楽初心者が人形に魅かれるかといえば、やはり、感情移入がしやすいからではないでしょうか。
歌舞伎は、最初のうちこそいっしょうけんめいみましたが、あたりまえだけど、役者にものすごく左右されるんですよね。
人形の動きというのは、3、4歳の小さい子の動きと通じるものがあると思います。つまり、馴れによる心のこもらない動き・本気でない動きというのが全くなく、すべての動きが純粋。(うまくいえませんが)
人形だから、できる動きは限られているはずですが、その限られている中に、最大限の情がこめられている。
だから話に集中できるんだと思います。

ここ2、3年は、あまりまめに見てはいませんでしたが、それにしても、玉男さんの名が配役表に出ていても結局は休演、ということが何度か続き(もしかしたら地元大阪では出演してらしたのかな)、どんな具合なんだろう、と思っていましたが、残念です。
私がみはじめたのは、たぶん7、8年前だと思いますが、そのころすでに80歳くらいだったわけですね。
その後、年をとるにつれて、最初に舞台に登場するときには、いかにも「おじいさん」然とした感じというか、おつらいのじゃないのかな、と感じることが増えましたがしかし、それでも、お話がクライマックスになるに従い、必ず生き生きとしてこられるのがすごかったです。そういうのを、何度も見せてもらいました。
一番最後に見たときだけは、ちょっとそうじゃなかったけれど・・。

文楽は世襲じゃなく、玉男さんも、親が文楽関係者ではありません。
人としゃべるのは苦手だし、手に職をつけねば、と思って、人形遣いに弟子入りしたそうです。途中、戦争中には応召し(戦場まで行ったかは知りませんが)、戻ってからふたたび人形を遣い、研鑽をかさねていかれた。
そういう方の芸をみせてもらうことができて、感謝しています。
ご冥福をお祈りします。
posted by フタバ at 19:43 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の芸術

2006年04月14日

4月13日夕刊 伝統的地名の改変/谷川健一さんに聞く 揺らぐ日本人の精神文化 歴史や由来 大切に

この人が言っているようなことは、昔から、言っている人は言っている。
新宿区の箪笥町とか細工町とかが残った(あるいは復活した)のは、そこに住む人たちが残そうとしたから残ったのだ、と確かきいたことがある。

【「さいたま市、いの町(高知県)、西東京市などのように、ひらがなやカタカナ、主要都市に方位をつけたもの、さくらやみどりというようにイメージを重視したものなど、過去の痕跡を消し去り、一見心地よさそうな顔の見えない名前が目につきます。】

西東京市って、いつできたんだっけ。
どういう意味なんだか、確かに全然わかりませんでした。

(余談ながら、新聞も、こういう話題をとりあげるのなら、自らは、へんてこな漢字&ひらかなまじりの言葉をふりかえったらどうでしょう?
それと、個人的な感想かもしれないけど、新聞記者って、
【日本語の乱れが叫ばれて久しい。】とかって、いつまでも死に体なことばをつかってて、それこそ日本語は大丈夫なんでしょうかと思います。
この余談については、4月16日のエントリーをご覧ください。)

【歴史的、文化的に由緒ある数多くの地名が消えるという動きは、高度成長期の1962年に、住居表示法が施行されたとき急速に広がった。】

1962年。なるほどね。わかるような気がします。(自分の生まれた年との関係でふむふむと思います)
何丁目何番地何号、っていうの、けっこうわかりにくいですよね。

【千曲市(長野県)など”顔の見える”地名が新たに生まれる一方、伝統的地名をなくしたことを反省し、それらの地名を復活させようという動きが、金沢市や東京・台東区など各地で広がりつつあるからだ。先進例といわれる金沢市では、主計町、木倉町、六枚町などの旧町名が、ほぼ四十年ぶりによみがえっている。】

これらの例は、昔のこと、を知っている人が一応は住んでいる町ですよね。
町自体、あたらしい町も、今はたくさんありますよね。分譲地のたぐいは。
でもその人たちの住む町も、20年も住めば、短いなりに歴史はあるんですよね。
歴史は長ければエライっていうもんでもないから。
と、これは、古いものに偏愛をしめしがちなフタバ自身にいいきかせてみました。

一番最初の引用箇所のつづきはこうです。
【新しい地名を広告塔とみなしたり、ブランド品のように扱って、観光や商売に結びつけようとする。地域の固有の歴史や文化を軽んじるような安易な風潮が納得できません」】

これはどうしてこうなるかといえば、歴史がぶったぎられてるからじゃないだろうか。
近代化、戦争、高度成長期。そういうものを経て今の社会や生活様式が成立しているのに、とりあえず、ここ数年来だけの考え方でものごとを決めている。場あたり的ともいいましょうか。
「とりあえず、今期の予算だけは達成させよう」みたいな発想というか。
そういう発想が恒常的になると、昔のことなど関係なくなっちゃいますからね。
posted by フタバ at 04:44 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の芸術

2006年03月26日

3月26日(夕刊)都心にユニーク映画館 小型館、集客へ仕掛け 大手はデジタル上映実験

さらに副題がついていて【シネマにちなんだ飲食・イベント・・】とある。

要は、小型映画館はグッズや関連本を売ったり、カフェをつけたり、スターのファンミーティングをしたりしている、という話。

フタバが注目したのは【日本映画製作者連盟調べ】というグラフ。
スクリーン数も、公開本数も、2003年〜2005年にかけて微増している。でもたしか、映画館へ行っている人数は減っている、とどこかで読んだ気が・・・

フタバは人ごみがきらいだし、公開初日に映画を見ようとか思わないので、これはというものはロードショーで、まーまーなものはいわゆる名画座でみる。そのせいかもしれないけど、ここ数年、こんでて入るのやめた映画は「ホテル・ルワンダ」のみ。(この映画のもりあがり方はちょっと特殊かと。内容はまだ見てないのでわからないけど)
このまえ見た超かっこいい映画「SPL」もほんとにすいてて、もったいなさすぎ。
でも映画館が増えるというのは・・・どの程度の入りだと成り立つんでしょうね。それとも、この記事のように、物販などやることで、収支を成り立たせているのだろうか。


posted by フタバ at 00:14 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の芸術

2006年02月02日

(夕刊)人生のゴール 横尾忠則さんに聞く プロセスこそ面白い 本性に従って生きる

神様仏様横尾様。
かつてそのようにとなえることもあるくらい、横尾さん、大好きだった。展覧会も必ず見に行き、行くと、必ず、横尾さんが来てる日だったりして。

最近ちょっとごぶさたしてましたら、69歳におなりでした。
60歳くらいのときにみかけたときは、まあ50歳くらいにみえました。

【「長所も短所も引っくるめて知り、活用すると生きやすい。資質が社会に向かって開かれたとき、のびのびと仕事ができるのではないか」】

そうですね。
向いている職業とかもあるけど、仕事のやりかたとかね。資質が社会に向かって開かれたとき。いいなあ。

アーティストは個人的であり同時に社会的。人間はみんなそうなのかもしれないけど、それがよく見えやすい人種なのではないかしら。

【本性に忠実だった横尾少年も大人になると、「人に勝ちたい」という欲が芽生えた。例えば「画家宣言」のころ。ニューヨークで見たピカソに啓示を受け、絵を描きたいと人に話したとたんマスコミが察知した。画家への転向とばかりに騒動となり、「認められたい」という重圧となって横尾さんに襲いかかった。】

へー。
「いわゆる画家宣言」(←このようにいわゆるもカギカッコに入れるのが正しい表記だったような。かつての記憶が正しければ)って、『見栄』(認められたい)もあったんだ。
画家宣言をしてからの絵画作品展と、それまでのグラフィックデザイナーとしての仕事の回顧展みたいのが、わりと近い時期に前後してひらかれ、それを両方みにいって、横尾サンが好きになったのだった。グラフィックデザイナーとしては、あまりの仕事のうまさに感心し(浮世絵師の仕事に感心するような感覚で)、絵画作品も、なんか妙に好きだった。

【「魂が心と一致するのが理想だが、肉体の反応の方がより魂に近いのだろう」・・・「心だけで生きていくのは限界がある。心はいつも何かを要求し、人を引っぱり回す。コントロールできないものに引っぱられるのいい状態じゃありません。建前に振り回されやすい心ではなく、体や本性、つまり魂が発する本音に素直に従いたい。」】

んー。
わかるような気もするけど、そういう気になったのは、やっぱり
【「我々の年齢になると、気持ちは三十代、四十代なのに、体に無理がきかなくなる。肉体の変化と心のあり方が一致していない。心は欲望に振り回され、迷ったりウソも平気でつきますが、体はウソをつきません」】
という具合に、ふつうに年をとったからじゃないかなあ。

何にだかしらないけど振り回される心の力が多い時期も、長い人生にはあるでしょう。
若いときの葛藤はそうなのかも。

だからといって、横尾さんも年をとったねー、という感じもしないんですね。
ちょっとするかな。
十分魂の力も強いから、心の力から魂にシフトしよう、ということもできるんだと思います。
たぶんね。

グラフィックデザイナーだったころの回顧展で、新聞の連載小説の挿絵が出ていて、それがとっても素敵だった。
グラフィックの仕事も、魂の力に自信をもった今、またやってほしいなあ。
posted by フタバ at 23:55 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の芸術

2006年01月22日

1月21日(夕刊)世界遺産と呼ばないで

【歌舞伎を世界遺産に認めてもらうために文化庁は内部で八つの条件をつけた。「女形によること」・・・(中略)・・・演目は新しくても幕末明治の河竹黙阿弥まで。野田秀樹や蜷川幸雄はもちろん、谷崎潤一郎や三島由紀夫の作品も入らないという】

この定義が具体的にどういうふうに影響するのかがこの記事だとよくわからなかった。

がしかし。

【歌舞伎に先駆けて無形遺産になった文楽や能も、ことは同じ。狂言役者の茂山千之丞氏は「世界遺産のお墨付きを返上しよう」と能の世界にハッパをかけた】

そうね。
どっちかというとそういう気持ちの方が正しいかもしれない。
「遺産」ていうと固定的。遺跡じゃないんだから、これからもっと発展するんだから。
桜姫東文章をいれないで歌舞伎っていってもねえ。
posted by フタバ at 23:03 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の芸術

2006年01月04日

古墳壁画 保存ヤマ場/劣化防止の妙案見えず/高松塚・キトラ古墳特集

キトラ古墳の壁画をはがしたとか劣化がまた発見されたとかのニュースをしばしば見ていた。
その前に発見された高松塚はどうなってたのかと思ったら、

【同じ環境で生まれた両古墳であるが、近年、対照的な処理に委ねられてきた。高松塚は可能な限りの薬剤処置がほどこされ、キトラ古墳は自然の環境に委ねられてきた。退色の課題に限定すれば、前者は痛々しい。】←京都橘大教授 猪熊兼勝氏の寄稿

そうだったのか。
基本的に、公開するつもりでなくつくられたものだし、時間がたっているので、こういうことになってもしかたないのかもしれない。数年にいっぺんだけ公開とかでもよかったのでは?
お墓なんだし。

キトラ古墳のはぎとった壁画の写真もあった。かなり薄くきりとっているように見えるのだが、これをまたくっつけるのはどうやるの?

【キトラでは一昨年夏から続く作業が節目を迎える。すでに取り外した「白虎」などは年内に一般公開の予定だが、石室内に残る南壁「朱雀」や天井の天文図はしっくいの状態が悪く、はぎ取りが技術的に困難。壁画を手のひら大に分割してはぎ取る案や、壁石を取り外す案が出ている。】

ということは、またくっつけるつもりはないのだな。

【同庁(文化庁)は「原状に修復できるなら壁画の分割もやむを得ない」との姿勢。昨年末、北壁「玄武」の一部を細片にしたことに「作業は失敗」との批判が上がっており、今後の方針に影響しそうだ。
 石室外に搬出した後の修復・保存方法や活用方針などは今後の課題として先送り。高松塚では、保存失敗の責任追及はもちろん、墳丘上の竹林を伐採する応急措置に疑問の声が上がるなど、従来の保存手法の是非の検証さえ手つかずのままだ。】

今後の課題、なのか。でもたぶん、またくっつけるつもりはなさそうだ。
いつまでなら時間的猶予があるのか、とかも見えない状態でやっているのだから、大変ではある。
(たぶん、猶予は全然ないのだろう)
それと、担当職員ならば、「あきらめる」という結論を出すことは不可能に近いムズカシさだろうからそれも大変・・・。
7〜8世紀につくられたそうなので、1200年も前のことだ。盗掘のあともあるそうだが、それはいったいいつ頃だったんだろう?
最初に盗掘にはいった人は、あざやかな壁画を見たんだろうな。

posted by フタバ at 09:40 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の芸術

2006年01月03日

「文楽の夕べ」特集/文楽の魅力を伝承 世界と未来へ発信

日経新聞が昨年11月におこなったイベントにての対談が特集されている。
英大夫・燕二郎・勘十郎の中堅座談会、及び、司会三林京子(勘十郎さんのおねえさんですね)による住大夫&狂言の茂山千之丞の座談。

1日は、咲大夫vs酒井順子の対談もあった。
そのときにも、今日の住大夫&茂山の座談にも、両方あった発言が、
【(若い芸人たちは)どこまで(芸が)好きなのかよう分かりまへんなあ】。
咲大夫さんも同様のことをいっていた。

そうですか。どんな感じなのか全くわからないけど。
文楽の世界は世襲だけではない。歌舞伎の世界は、名門に生まれた人が名門の名前をもらえて、主役もばんばんやってくる。だから、才能があるけど名門でない家にうまれた人はいい名前のところへ養子にいくのだそうだ。(例、市川雷蔵(この人は結局映画俳優となったけど最初は期待の若手として歌舞伎役者もやっていた)、阪東玉三郎)玉三郎は歌舞伎が好きだからわざわざ勘弥のところへ養子に入ったのだと思う。
文楽は、今は国立劇場の伎芸員募集に応募し、一流の現役芸人に教えてもらい、卒業のときは自分で師匠をえらべる、と以前にきいたことがある。養子に入ったりするよりアクセスしやすそう。まったく文楽と関係ない家にうまれても、好きなら、(そして審査等に落ちなければ)文楽をやれるのだ。

という世界にあって「どこまで好きなのかよくわからない」と言われてしまうっていうのはどうしてかしら。
でも、若い人には若い人なりのやりかたがあるんだろう。
ある若い人形遣いの人が、あるとき急激によくなっているのに気がついて、感激したことがある。
どういうふうに変わるかは誰にもわからないですからね。
吉田玉男さんだって、「あんまりしゃべるのは苦手だし、手に職をつけたいと思って」近所の人形遣いの家の門をたたいたときいている。やっているうちに好きになったんだと思う。
好きこそものの上手なれ。

(ああ、「ピンポン」を思いだす。)

お染.jpg


posted by フタバ at 11:20 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の芸術

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