2007年06月16日

『フューチャリスト宣言』の、販促対談@

販促対談、なんて書きましたが、正式には、

刊行記念特別対談・筑摩書房HPオリジナル
 梅田望夫・茂木健一郎
 「始まりとしての『フューチャリスト宣言』」


がタイトルです。

梅田望夫さんといえば。茂木健一郎さんといえば。
私にとっては、「年の近い有名人」です。

けっこう年を気にするフタバ。
言い訳(が必要かどうかわかりませんが)をするならば、日本の近現代は短い間にいろいろな変化があったので、年代によて、教育やまわりのメディア環境や内容がかなり違う。それによってのモノのとらえ方や発想の特徴が、年代ごとにあるんじゃないか。と思うからです。


以下、引用部分は青字とし、順次コメントしていきます。


【茂木】 『フューチャリスト宣言』の中で僕が言っていることは、これまで心の奥深くに隠してきたことだったんです。だから、僕の周囲では驚いている人が多い。「茂木がこういう本を書くとは思わなかった」と。これまでは、心脳問題に関するもの、あるいは文学的なというかウェットなことを書いてきましたから。でも、「はじめに」に書いた通り、僕には「未来志向」が子供の頃から根強くあって、今までそれを封印してきたのですが、この本でそれを出しちゃった。本音を出しちゃった。そういう意味で、自分にとって爽快な本です。
 この本をスタートラインにして、やれることがいろいろあるような気がして、僕は覚悟ができたという感じがします。実は、ある時期までは、談合社会でうまく生きている人をうらやましく思ったりもしていたんですが、そういう思いがだんだん減っていって、この本を書くことによって、禊(みそぎ)ができたというか、「そっちはもういいや」という感じになりました。

【梅田】 僕はもう少し前から腹をくくったんですが、でも、そうだなあ、42、3歳の頃までは迷いがあった気がします。そっち(談合社会)のほうでやっていくというパスが見えていた時期でもありましたから。数年前にそうじゃないほうにぐっと舵をきって、さらにこの本でそういうメッセージをクリアに出せたと思います。



その『フューチャリスト宣言』をまだ読んでいないので、なにが書いてあるかわからないのですが、「未来志向」という言葉に、同年代心がピクリと反応。
「未来」といえば、鉄腕アトムの背景のような未来都市、という刷り込みがかなりあるのがこの年代のはずでは。
あと、未来はなんとなく、明るいもののはず、というのも、この世代の特徴かと。たぶんね。
鉄腕アトム、フタバが生まれる前からやっていて、モノゴコロを形成するのに、おそらく相当影響を与えられてしまっている気がします。

あと、「談合社会」。
これも、あてずっぽうですけど、「ふつうの日本社会」のことじゃないかなあ。
これに、結局はあわせてるし、めだった反乱もしてきてないけど、内心結構ヤダ、と思っているのもこの世代じゃないかなあ。

【「平日の午前11時10分」に「野球@HOME」とスケジュール表に自由に書き込める人生(仕事なんて代わりに朝早く起きてやれば一緒なんだから)を、僕はずっと心の中で求めていた(1995年に野茂が初先発したときはまだ大組織に勤めていて、アメリカに来たばかりで、ぜんぜんそんな余裕も自由もなかった)、でもそんなことを求めない(考えもしない)人もいる。「好き」で「飯を食い」、人と自分を比較せず、自分で自分の時間のすべてをコントロールする人生を、僕は求めていた。ウェブの進化って、そういう可能性がより多くの人にどんどん開かれてくるタイプの変化なのではないだろうか。と、そういうことかな。野球の話はもちろん半分冗談だけど。】

↑これは、梅田氏のブログからの引用。
この気持ちはわかる。いや「少し」わかる。
梅田さんの場合、一応働くこと自体には意欲がある。
私の場合、簡単にいえば、「働きたくない」なのだ。
だから、就職するときも、「穴場」と思える会社をえらんだ。
とはいっても、旧来の日本的会社、この対談の言葉をかりれば「談合社会」でしかないわけで、「穴場」であるぶん、ラクや得はあったかもしれないけれど、それだけだなあ。という気もする。
働くスタイルについての想像力が、どうにも乏しかった、ともいえる。

対談続き。

【茂木】 この本を読んだ人がとくに強く反応しているのも、「インターネットのホームページやブログが、これからは名刺代わりになるんですよ」という部分ですよね。そこには若い人を中心に、たいへん共感してくれる人が多い。
 でも、この本は「リトマス試験紙」的なところがあって、「未来は明るい」と共感してくださる方も、反発される方も、どちらの立場の人もいる。もっと言えば、インターネットそのものに対して、あるいはグーグル的なものに対して、ポジティブにとらえるかネガティブにとらえるかということが、今、「リトマス試験紙」になっているのではないでしょうか。それは、「自民党に投票するか民主党に投票するか」ということより、「憲法改正に賛成するか反対するか」ということよりも大きな、哲学・世界観の差になっているのではないかと僕は思います。


どうなんでしょうか。「哲学・世界観の差」と言えるほどなんだろうか。
私の「グーグル的なもの」は、やっぱり、「方法論」「手段」でしかないです、今のところ。
ただ、私自身は、ネットを使いこなしているとはいいがたい。
ブログを書くなんて、すごく簡単だし、htmlを理解しているわけですらない。情報収集に「はてな」を利用してはいるが、「ブックマーク」なんかも、「本を読んで重要だと思ったところに線をひく」の使い易い版、としてしか使ってないし。「キーワード機能」がうざいと思って「はてなダイアリー」も使ってない。

たとえば今、ひとびとが憲法改正(て言葉も気に食わないけど)ハンタイなのかサンセイなのか、ということの方が、私にとっては気になること。
人は意見を変えることもあるが、たとえば、賛成の人がいたとします。
きっかけというのはどこにもころがっているので、その人が、たとえば、ネット上の何かをみて、意見を変えたとします。
でも、リアル世界のメディア、本や新聞がきっかけになるかもしれないし、リアル世界で出会った誰かの言動がきっかけになるかもしれない。
とすれば、ネットでの出会いもリアルでの世界も同じ。
・・・・というのは、たぶん、梅田さんたちの言うことを理解してないんだろうな。

そうじゃなくって、リアル世界での出会いとは、量も質もケタ違いなものがネット上にはあって、それを、あの映画はどこでやってるかしらと調べる程度でない、もっと深く多方向からいろんな視点から考えるチャンスのあるネット上での出会いの方がスゴイ、というその「スゴさ」を私が理解してないだけ?ってこと?
つまり、ネット上で生きる力(ウエブ・リテラシーと梅田氏は言ってるようですが)をつけたものの世界のひろがりというのはものすごい、ってこと?

・・・・だろう、とは想像できるんですが。

でも、その、ネット上でのあれこれというのは、それこそ、日本の「談合社会」を形成しているなにかを崩すことができるほど、強いかなー。
というか、そのすごい出会いの世界をいかして、リアル世界での意志決定や哲学を左右することになる、っていうのがわからない。
「はてな」上でも、なんだかやたらと、「人のことを気にする」ことばっかりに熱心な人がおおぜいいるところを見ると。これ、「談合社会」じゃないの?
(「はてな」で検索して、「ブックマーク」とか「揉め事」とか見てると、しょせん「空気が読める」かどうかの話してんじゃないかなーと思っちゃいますよ。)

続く・・・続ける、つもり、です。
今日はここまで。
posted by フタバ at 08:34 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース本ニッキ(本の感想)
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