2007年01月14日

今週の主張(2006年)3月6日 重信房子さんに判決 =革命と民族と歌と=

右翼で有名な鈴木邦男氏の公式ウエブサイトより。
なにかで「今週の主張」というコラムシリーズがヒットして、過去記事みていたらみつけたエントリー。

この判決については、フタバもニュースニッキで取り上げました。こちら

そのときに、【でも、彼女は、とにかく今自分は生き延びてる、ってことをよくよく考えるべきじゃないかなあ。
まことにせんえつながら。】
と書いたのですが、それは、有罪判決になっとくし、国際的なテロつまり誰かの死に加担した、という認識のもとに書きました。
それで妥当だと思っていたわけです。

この判決に関して、鈴木邦男さんのこの「主張」では、


重信さんが罪に問われたのは、1974年のオランダ・ハーグの仏大使館占拠事件を指揮した容疑だ。その時、重信さんはそこにいなかったし、指揮も、共謀もしていないと弁護側は無罪を主張していた。当時、協力関係にあったPFLPの作戦の一環として和光たちが実行した作戦だった。「重信は関係ない」と、PFLPのライラ・ハレドも来日して証言している。
 しかし、検察側は、何としても重信さんを「主犯」にしたい。そして、共謀の事実は立証できないまま、「無期」を求刑し、裁判長は「20年」を言い渡した。ひどい話だ。この時、日本赤軍はまだ出来てない。PFLPの協力のもとに日本人が作戦を行った。PFLPの活動の一環だ。重信さんは全く、関知していなかった。
 それなのに裁判長は、「詳しい内容や時期や場所は明らかではないが、共謀を遂げていた」と言う。又、
 「組織体制を十分確立していなかったとしても、重信被告はグループの中核的な立場にあった」と言う。



と書いています。
ちょっとだけ検索努力をしてみましたが、判決文自体はすぐにはみつかりませんでした。

もし、

裁判長は、「詳しい内容や時期や場所は明らかではないが、共謀を遂げていた」と言う

がほんとうなら、それはひどいと思います。
ただ、新聞記事にも「実行犯ではなく共謀」が争点とかかれていて、それにはフタバも気づいてました。
実際共謀なのか実行犯なのか連合赤軍の一員としての彼女の立場はどうなのか、ということはともかくとして、「とにかく≪テロリスト≫だ。テロリストは悪い。有罪じゃないの?」みたいに『印象』にひきずられたなあということにこの鈴木さんの「主張」記事を読んで気がつきました。
だから、今このエントリーを書いています。

共謀かどうか、を判断するのはむずかしいことだろうと予想されます。
たとえば、犯行がチームでおこなわれていて、Aは人を殺すため爆弾をなげ、Bは現場で見張りをし、Cは現場にはいなかったが爆弾をなげる場所と相手のリサーチをした。ということがあったとしたら、Aは実行犯、Bは、人は直接殺してないから殺人罪にはならないが「共犯」、Cは、「共謀」かしら。(完全に素人考え)でも、だとしても、Cがリサーチしたという「証拠」は必要になりますよね。何月何日、その場所の地図を買いマルをつけてAに渡した、とか。でもそれは、Aが、爆弾を投げるということをあかさずに○○ってどこにあるか知ってる?って聞いただけなら「共謀」じゃなさそうだし。
・・とまあ、素人考えを続けてもしょうがないのでもうやめておきます。

とにかく、新聞も、もう完全に、有罪にきまってるって調子だったな。
というか、「若いときに英雄きどりでバカなことをやってきたがけっきょくこのように先ぼそり。みじめだねえ、あわれだねえ」っていう気持ちがすけて感じられる。
鈴木さんの紹介している、産経新聞の記事でも、

「日本赤軍、支援組織先細り」「法廷闘争 かさむ負担」と出ていた。「支援者の高齢化など、国内支援組織は維持がやっとの状態で、テロ組織の“落日”は著しい」

とありますね。

連合赤軍については、映画をつくるべきだとか、いろいろ思い入れのある人が多いようだ。
フタバも2月23日のエントリーで書いたとおり、新聞等の報道では「単なる殺人集団」という扱いではなかった(少なくともそういう印象だった)彼らのことは、子供の頃からのナゾとして今も残っているので、興味がないでもない。すごく興味ある、って感じでもないけど。なんとなく、んー、へんだなあ、わからないなあ、っていうままン十年、です。

鈴木邦男さんは右翼で有名。
しかしこの、「今週の主張」シリーズは読みやすく、おもしろい。
なんかこう、思ったとおりの流れで書いているかんじが、うまいと思う。共感を得やすい気がする。

「右翼」のイメージは、良くはないです。
昔、京都に旅行に行った際、バス(ふつうの市バス)で移動中、八坂神社の前の三叉路交差点で、夕方の大渋滞にまきこまれたことがあった。
一般車、市バス、観光バスと、もうどうしようもなく混んでいて、じりじりと少〜しずつ動くバスの中で時間がもったいないなあと思っていた。
その渋滞の中、かなり無理やりな感じで右翼の街宣車がねじこんできて、例のとおり国粋チックな歌を大音量でかけていた。この大音量がものすごく、しかも、渋滞だから、一瞬うるさいけど通りすぎる、というものでもなくて、その渋滞にまきこまれた全員が、その大音量に耐えるしかなかった。交通整理のおまわりさんはそこにいたんですが、もちろん、音量を下げるよう指導したりしません。言論の自由がありますからね〜。携帯電話が普及する前のことだったからどうしようもなかったけど、今だったら、非通知110番するな。効果はないと思うけど。
でもほんとに、あともう少し続いたらキーッてなりそうなくらいうるさかったです。

あと、右翼のイメージとしては、「感情に訴えて理屈をごまかす」というのがあります。
昔、野村秋介という、もうなくなったようですが、新右翼の論客、みたいにいわれている人がテレビに出ているのをみました。そこでしゃべっていた印象が「感情に訴えて理屈をごまかす」でした。内容は忘れたんですけど・・・。

この鈴木さんの文とか言ってることは、最近おもしろいと思って読んでいるけど、「理屈をごまかす」をやっているのかもしれないという警戒心は、まだ少しだけ持っています。

といいながら。
理屈とは関係ないんだけど、この「主張」の中で、なるほどと思った指摘をピックアップしておきます。

重信房子は短歌を詠む人で、短歌集も出しているそうですが、その短歌集から歌をランダムに引用して感想・コメントを書いてある部分から。

つつましく家にひかえるおみならが
 戦士となりてカラシニコフ撃つ
 (「おみならが」なんて、日本の戦時中の愛国婦人会の歌に出てきそうだ。短歌という形式を借りることによって、日本的な情緒もぐんと引き寄せられるのではないか。詩歌の霊性が乗り移るのだ。ちょっと怖い)


「詩歌の霊性が乗り移る」、なるほどね。「ちょっと怖い」っていうのもわかる感覚です。


posted by フタバ at 11:45 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他
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