2006年09月06日

(夕刊)日本の温かな家庭像示す ノンフィクション作家 工藤美代子さん

【なんという僥倖、破格のご慶事でありましょうか。今年の二月初旬のことですが、紀子さまご懐妊の第一報を耳にしたときから日本の皇室の生命力のようなものに感動を禁じ得ませんでした。】

この人の最新作品「われ巣鴨に出頭せず」を、ニュース本ニッキカテゴリでとりあげるつもりなので、まあ、前説的に。

みなさんおよろこびのようですね。
きのうの深夜ネットの新聞ニュースをみていて、自衛隊の機関砲誤射の事件が気になっていたのですが、まあ額賀長官よござんしたね。運のいい方だ。
それはともかく。

このごろけっこう、こういうふうに皇室をてばなしでほめる人って増えている、というか、それがトレンドっぽい気がするですよ。

【思えば秋篠宮さまと紀子さまのご家庭は、そのまま日本の温かい家族関係の象徴のような感じがいたします。】

これも、こういうことばでなくても、そのへんの人に街頭インタビューしてもでてきそうな意見ですね。

もちろん、ひとりの女性が出産を無事すませた、ときけば、よろこばしいとフタバも思いますよ。赤ちゃん大好きだし。
でも僥倖ですねとは、自分からは言わないです、きっと。
この工藤さんの記事は、『寄稿』となっております。

【ここに紀子さまによる親王ご誕生というご慶事に接し、日本の長い文化の形成を考えるまたとない機会に恵まれたことに思いをはせつつ、静かにご成長を見守らせていただきたいと存じます。】

工藤さんはノンフィクション作家であって歴史家ではないので、まあ、いいんですが。
天皇家は有史以来ずっと続いている、というコトは、確かにスペシャルなコトに見えますね。

フタバが共感できる皇室への感覚といえば、ナンシー関が以前にご成婚パレード(皇太子さんの)の取材をして書いてたことかなあ。(青字)

私は、大勢の人が半蔵門の駅のまわりで帰るに帰れなくても別段平気な顔で延々30分以上も時間を潰している様子を見ていたら、ちょっと暗い気持ちになった。これは私の中のバランスと、主にマスコミの作ったバランスのズレによるものである。沿道に馳せ参じて日の丸を振り歓声を上げることを「ニュートラル」とするマスコミが作ったバランス(来ていた人のほとんどにとっても、それがバランスの基準になっている。だから来たのだ)に対して、私にとってのニュートラルは”パレードなんかは見に行かないこと”だ。
『信仰の現場』文春文庫P.147より

この後にもかなり興味深い考察が続くのだが、くわしくは、本を読んでくださいませ。余談ですが、この本、相当かなり、おもしろいですよ。「古き良き行列」って章のお話が好き。

話は戻って。

ナンシー関の用語を借用するならば、この記事は、それこそ、日経新聞が「ニュートラル」な意見だと思って載せているのだろうな。
【美智子皇后という素晴らしい母宮】【聡明なる紀子さま】なんぞと書いてあるのだけど。
んー。
昭和天皇夫妻も、皇太子を自分の手元で育てたかったがかなわず、大戦後はわざわざアメリカから家庭教師を招いた、ということも書いてあるんですよね。

【自由な空気のもとで、我が子がすこやかに育って欲しいと願う気持ちは、天皇家だけに限ったことではありません。】

ああなるほど。この人(工藤さん)は、皇室をあがめるというよりも、じぶんたちと同じような人間の理想形として考えているわけね。
しかし実際、皇室というのは特別なところのわけで、少なくとも、現役皇太子と結婚した美智子さんがとても苦労をした、それも、ふつうの人と結婚したのだったらありえない苦労をしたはず、ってことはどう思うのかね?

まあそういうことを論じるために寄稿したんじゃないというのはわかっておりますので、このへんで。

参考図書↓


posted by フタバ at 22:35 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他
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