2006年08月16日

8/12 東京新聞ネット版より 『鎮霊社』からみた靖国神社

今日も手抜きでネットニュースより。
(紙の新聞を引用するのって、時間がかかるんですよね・・・ネットだとコピー&貼り付けでイージー)

めったに見ないテレビを見たら、靖国関係の討論会とおぼしき中で、保阪正康さん(「あの戦争は何だったのか−大人のための歴史教科書」がベストセラーだったようですね)が「鎮霊社」というもののことを話してました。
テレビ討論会という短い時間だったので、保阪さんは、問題提起だけされてましたが、それは、

@靖国神社には鎮霊社というものも存在しているが、これはどういう経緯でできたものか。
A現状鎮霊社にはお参りできないもしくはおまいりしづらい状況になっていて(参道が整備されてないとか閉まっているとか)、靖国神社はその存在を隠したがっているようだがそれはなぜか。

というものだったと思います。

テレビ番組内では、靖国神社の味方ふうの大学の先生が、今神社としても鎮霊社におまいりできるよう検討しております、みたいなことは言ってましたがそれでその話はおわりでした。

てことでさっそくネット検索してみたら、この記事が出てきました。

【参道からは外れているため訪れる人もいない。十平方メートル程度のごく小さな祠(ほこら)だ。屋根は本殿と同じ薄緑色だが、赤さびがかなりついている。鎮霊社の前に立て札があり、こんな由来が書かれていた。

 「明治維新以来の戦争・事変に起因して死没し、靖国神社に合祀(ごうし)されぬ人々の霊を慰めるため、昭和四十年七月に建立し、万邦諸国の戦没者も共に鎮斎する。例祭日七月十三日」】

例祭日、今年はおわっちゃったんだ、ザンネン。来年おぼえてたら行ってみよう。

靖国神社のホームページにも、一応、境内の施設として紹介はされています。
説明文を全文引用しますと、
  
≪靖国神社本殿に祀られていない方々の御霊と、世界各国すべての戦死者や戦争で亡くなられた方々の霊が祀られています。≫

ってことです。

記事にもどります。

【靖国神社は必ずしも軍人・軍属だけを祀(まつ)っているのではなく、沖縄戦で死亡した「ひめゆり部隊」の女学生や学徒動員中に軍需工場で爆死した学徒たちも祭神として合祀されている。

 その一方で、戊辰戦争時に官軍に敗れ、自決した会津藩白虎(びゃっこ)隊の少年兵や、維新の元勲でありながら、西南戦争で明治政府に反旗を翻した西郷隆盛は除外されている。また東京大空襲や原爆に遭った戦災者も同じだ。

 「将来、国を守る基礎をつくるため、国に殉じた人を祀るのが靖国の基本。遺族のために存在しているのでもない」と同神社に近い関係者は指摘する。】

この関係者の言のとおりなら、やっぱりまつる人を選んでいるわけですよね。このことは、フタバが調べたせまい範囲でもたびたび指摘されてますが、そのことは、日本人の間で「常識」といえるくらい、認識されているのかしら。どうなんだろう。

【その靖国神社ができてから、約百年後に本殿とは別に鎮霊社は建てられた。ここには白虎隊や西郷だけでなく、イラク戦争の死者など「万邦諸国の戦没者」も祀られているとされる。しかし、それらの人々の名簿はない。

 建立の経緯などについて靖国神社広報課に取材を申し込んだが、「業務繁多で十八日以降でないと回答できない」と言われた。

 代わりに前出の関係者は「賊軍も外国人も同様に祀るのは、人は死ねばみな仏になるという仏教にも影響を受けている」と話す。

 ただ、これは多分に建前のそしりを免れない。出雲大社や太宰府天満宮は怨霊(おんりょう)を鎮めるために建立されたとされる。この関係者は「鎮霊社もこれと同じ。怨霊を恐れ、抑えようとするのは神道の考えの根本だ」と説く。】

菅原道真くらい昔の人になると、「希望校にうかりますように・・・」とお願いする「カミサマ」にすっかり転化しており、「やすらかに眠ってふたたび災いしないでください」と祈っている人はいないでしょうけどねえ。

西郷さんが靖国神社本社にまつられていないことは、かなり、常識の範囲におさまりつつあると思う。
しかし、鎮霊社にまつられてんのかなあ?
西郷さんの子孫に取材してくれないかしら。
まあ、名簿らしきものの写しを発見し、そこにサイゴウって書いてあった!とかのある程度の根拠がなければ取材なんてしない、ものなのかな。
ともあれ、【18日以降】に、また取材してほしいな。

上述保阪さん提起の問題にかかわる内容もあり。

【〇一年に月刊誌で鎮霊社を論じた日大講師で現代史家の秦郁彦氏は、鎮霊社が建立された背景に一九四六年から七八年にかけ宮司を務め、A級戦犯の合祀には否定的だった故筑波藤麿氏の存在を指摘する。

 「靖国神社の(最高意思決定機関である)総代会がA級戦犯の合祀を決める七〇年以前に、総代たちと厚生省引揚援護局との間で合祀の根回しがあり、それに気づいた筑波さんがA級戦犯の『収まりどころ』として先手を打つ形で建立したのではないか」

 さらに、秦氏は「筑波さんは宮司の任免権を持つ総代会から合祀を求められ、拒めなかったが、同時に合祀する気もなかった。昭和天皇の意を体していたと考えられる」と解説する。】

鎮霊社建立が昭和40年、てことは1965年だから、この筑波さんていう人が宮司を務めていた時代にできたのは間違いないようですね。
そしてこの筑波さんていうのは、このまえの天皇メモ(このブログでの関連記事はこちら)にあった、『筑波は慎重に対処してくれたときいたが』の筑波さん、ですよね。
興味深い。

続きです。

【筑波氏の死後、後任の故松平永芳宮司の時代(七八年)、A級戦犯は本殿に合祀された。秦氏は「筑波さんを補佐していた祢宜(ねぎ)に話を聞き、A級戦犯は一時、鎮霊社にいたことを確認した」と話す。つまり、鎮霊社が建立された六五年から七八年まで、A級戦犯は鎮霊社に祀られていたらしい。

 秦氏は「鎮霊社は靖国神社が独自の判断でつくったもので、部外者がとやかくいうべきでない。世界中の戦没者を追悼するというのは正論で批判できない」と話しつつ、同神社が鎮霊社への参拝を受け付けていない理由をこう推測する。 】

【 「(月刊誌で考察を発表した)〇一年当時、自民党内から『A級戦犯は鎮霊社にお帰りいただいたらどうか』という声が出たと聞いている。靖国神社はA級戦犯分祀論との絡みで、鎮霊社が話題になることを嫌がっているのではないか」】

興味深い。

この、【部外者がとやかくいうべきでない】ってのもおもしろいですね。
よくきく問題回避法。
でもこの秦さんという人、こういう知識を新聞記者に言ってくれるだけ公平かも。

さて、公約をはたして満足であろう小泉さんの件。

【小泉純一郎首相は、鎮霊社の戦没者も追悼の対象にしているのか。首相は二〇〇一−〇四年は靖国神社の本殿に昇殿し、昨年は拝殿前での参拝にとどめた。過去五回の参拝で鎮霊社を訪れたことはない。】

きのうテレビでみたら、参拝のとき、神社の人(宮司、でいいのかな、烏帽子をかぶってる人)と共に昇殿してた。そういう形態を毎回とっているのなら、鎮霊社にはたしかにいきそうにないですね。
どうすると、神社の人つきでおまいりできるのかな?

【首相は〇二年の参拝所感では、追悼対象を「明治維新以来のわが国の歴史において、心ならずも家族を残し、国のために命を捧げられた方々全体」「国のために尊い犠牲となった方々」と説明。】
【首相は昨年六月の衆院予算委で「A級戦犯のために参拝しているのではない。多くの戦没者に敬意と感謝の意を表したい気持ちからだ」と述べ、追悼対象を微妙に修正している。】

つまり、2002年の段階では、「国のため」と限定していたが、2005年6月の段階では、「国のため」ということばをはずしたってことね。
ふーん。

最後に。

【<デスクメモ>
 「中韓から文句をつけられた」ので「A級戦犯合祀が問題」という議論に首をかしげてきた。やはり、問われるべきは靖国神社とは何か、という本質論だ。それがようやく国民議論の的になってきた。ただ、戦後六十一年。関係者の多くが亡くなっている。事実関係の追跡が困難になっている現実が悩ましい。(牧) 】

牧さんて人はとりあえずこの記事を書いてくれたので、まあよいですが、たとえば参拝した小泉さんにインタビューするにしても、質問のレベルが低すぎると思う。マスコミ関係の人って、どういうつもりなのかと思います。就職試験はむずかしい、ときいてますけど。






posted by フタバ at 07:04 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(1) | 過去の戦争をめぐって
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Tracked: 2006-08-16 17:48
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