2006年07月23日

7/20 A級戦犯 靖国合祀 昭和天皇が不快感 参拝中止「それが私の心だ」★追記あり★

日経新聞が1面に出してたのでへえと思ったら、日経がこの富田氏のメモというのを入手したからだった。

メモは88年4月28日付け。合祀がおこなわれたのは1978年。

【「私は、或る時に、A級が合祀されその上松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ】

と写真に写ったメモに書いてあります。

ウィキペディア情報によりますと。

昭和天皇の最後の参拝   1975年
合祀           1978年10月
合祀の報道        1979年4月

って順番になります。
1975年が最後、ってのはあちこちに書いてあるけど、そもそも、天皇の参拝は毎年ではなかったのでは?
・・・ですね、やはりざっとネットで見たかぎり、もともと毎年ではなく、1975年の前はけっこう間があいてるようです(これはというサイトがみつけられなかったので明言しかねますが)。
1975年は、戦後30年だったからかなあ。
その年の8月(天皇が行く前)に三木首相が参拝して、このころから、私的公的とか、玉串料がどうとかが話題になりはじめたらしい。
とすると、フタバの想像ですが、そういうことが話題になりはじめたのでやめた、てのがそもそもだったのじゃないか。
合祀がわかったのはその4年後なわけで、もちろん、それをきいて、よりいっそう、「もういかない」決心を固めた可能性はあるでしょう。

私見ですが、分祀はむずかしいと思います。
靖国神社の宮司がかわり、戦犯の直接的遺族(子ども世代)が亡くなってからならわからないけど。
今の段階では、分祀するのは、ご都合主義にすぎるでしょうから。

やはり公的立場に現役でいる人が参拝するのはやめる。
それでいいと思うんですけどねえ。
小泉首相なんて、選挙対策で参拝をはじめたわけでしょうし。
各方面に失礼な話。

前にちょっと調べてみたとき、厚生省がずっと長い間、戦死者の明細を靖国神社に渡した、ってのを知って、それに違和感を感じました。
靖国神社はとにかく宗教法人なんだから税金は払わなくていいわけだし、収入の道はいろいろあるでしょう。いけばな教室とかやってたような気がする。
ちょっと変わった歴史的経緯をもった神社として、そっとしておくことはできないでしょうかねえ。

★追記 7/24★
合祀の前に、1966年にそもそも、厚生省がA級戦犯についての動きを起こしている。

7/21記事【分祀論 総裁選に影響も】より。
【66年には厚生省からA級戦犯14人の祭神名票が届き、靖国神社の「崇敬者総代会」は70年に合祀の方針を決めたが、時期は宮司に一任。筑波藤麿宮司は合祀を止めたが、松平永芳宮司が78年に就任すると、合祀に踏み切った。】

あと、【天皇は戦後8回参拝】したそうだ。

祭神名票というのは、厚生省がつくっているのか?
そして、靖国神社は、厚生省がよこした祭神名票はそのまま受け入れるものなのか?ことわれないのか?

このへんは調べて(お勉強して)みないとなんともいえないけど、
靖国神社もどうかと思うけど、やっぱり政府(含む首相)がヘンなんじゃないだろうか。
posted by フタバ at 16:57 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 憲法
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