2006年06月22日

6/21 元少年 死刑の可能性 山口母子殺害 高裁に差し戻し「無期、はなはだ不当」最高裁 「年齢 決定的事情でもない」国民感情を考慮の面も

けっこう大きな記事で、社会面に判決要旨とともに、解説的部分もあり。
そちらの方のタイトルは【少年犯罪、 厳罰化へ動く】。
そのあたりより。

【一方で、未成年者による凶悪犯罪が相次いで報道されるなか、一般市民の少年犯罪に対する不安感は高まっている。最高裁が今年三月発表した意識調査では、被告が少年の場合は「量刑を成人よりも重くすべき」と回答した人が25%に達するなど、裁判官の”常識”とは逆の感覚をもつ市民が多いことも浮き彫りになった。】

未成年者による凶悪犯罪が相次いで「発生」じゃなく「報道」なんですよね。
じつは、偶然みつけたブログ記事で、気になっていたものがあった。

少年犯罪『報道』急増データ(女子リベ 安原宏美 編集者のブログ)

これ↑によれば、少年犯罪の数が増えたというよりも報道が増えているということのようです。
そのとおりだとすれば、まさに、「治安悪化神話」が「作られた」ということがいえるのかもしれません。

少年法では、18歳未満だと、最高刑は(つまり、成人だと死刑が妥当である場合は)無期懲役。しかし、【18−19歳に死刑を科すことは禁じていない。】1983年には19歳の人が死刑確定した。
今回の事件の被告は、18歳になったばかり、だったそうだ。

フタバ的に、さらに気になった箇所は以下。

【重大事件の刑事裁判に一般市民が参加する裁判員制度の開始を前に、新たな指針を示したといえそうだ。】

これはいったい・・・

この前のところに、

【死刑の適用に「揺れ」があるなかで、最高裁が今回、「被告が元少年」かつ「被害者が二人」の事件で死刑相当と判断したことは、厳罰化を求める国民感情を考慮したとも受け取れる。】
とあるんですけど。
何度もいいますが、【未成年の犯罪が相次いで報道されるなか】と新聞は書いているわけですよ。その報道のせいで、【厳罰化を求める国民感情】なるものがある、ことになってしまっているのでは?

なんか、どういうつもりなんだろう、新聞って。

一般市民が参加する裁判員制度への疑問は以前にも書いたけど、やはり、死刑を増やしたいんですかね。しかも、国民を直接参加させて。
これはいったい、誰の、何が目的の、プロパガンダなんでしょうか?
(プロパガンダだとしたら、ですが。)
さてさて、ところで。

もしも自分が人を殺してしまったら。
いったいどうやって償えばいいのか?

人は案外簡単に死ぬので、自分が期せずして他人を死においやる可能性というのも、案外多いと思う。
そのときにどうすべきなのか。
そういうケース(期せずして他人を死においやる)は、この山口の事件とは違うのはわかっている。でも。

死というのは、とりかえしのつかないことの究極であって、殺そうと思って殺すのでも、そういうつもりなく殺す(あるいは死においやる)のでも、そのとりかえしのつかなさによる衝撃は、共に、やってくるのではないだろうか。しかも、一瞬でなく、緩慢に、緩急つけて、ずっと。

ただ、その衝撃をどのくらい感じるか、というのは、人によって違うのかもしれない。

一方、殺された人の家族、すなわち遺族にとっては?
遺族自身の気持ちはもちろん、ゆれ動くに違いないだろうが、そうはいっても、加害者とちがい、家族の死による衝撃は、一定の定量分だけは、つねに決まってあるのではないだろうか。
そして、遺族である自分が一生かかえていかねばならない定量分の重みを、加害者にも感じてほしいが、それはかなりむずかしいことだ、という現実にも苦しむのではないだろうか。

・・・だから何?といわれそうですが。
社会の現実として裁判や刑法があり、裁判になれば、裁判官はなんらかの判断をし次のアクションはこれだと決めなくてはならないわけですが。裁判官とか司法にかかわってない人は、アクションを決める立場にはない。ならば、厳罰化に賛成するとかしないとか以前に、なにか考えることがあるような気がしてならないのです。
posted by フタバ at 00:20 | 東京 🌁 | Comment(0) | 少子化・こども
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