2006年04月20日

(夕刊)近現代史を学ぶ:半藤一利さんに聞く 英知と愚昧の物語知る 史料精読し自分史観

【「中学や高校の日本史の授業は、明治維新か日清、日露戦争まで教えて、以下省略なんですね。『歴史、地理、修身を教えてないけない、三科目を廃止背よ』というGHQ(連合国軍総司令部)の指令がいまだに影を落としています。・・・(中略)・・・その後、受験のための歴史になり、先生も評価の難しい現代史を敬遠するようになった」】

ここ、「え〜っ、そうだったの?!」て感じ。
近現代史は、時間切れで学ぶ時間がなくなってるのかと思った。
三科目廃止っていうGHQの指令は、今はじめて知った。
修身を教えるなっていうのはきいたことあったけど。

【歴史に学べ、とよくいわれる。しかし、その前提として「正しく、きちんと学ぶ」というのが半藤さんの持論である。具体的には、できるだけたくさんの史料を読み込んで、自分なりの公平な見方、史観を築き上げていくことだという。そうして導き出された昭和史の教訓を尋ねた。】

半藤氏の著書「昭和史」は、語り口調で書いてありよみやすいので読んだ。
上記のような過程を経てできあがった本だといえるだろう。
それはいいんだけど、誰でもが、そうやって、たくさんの史料を読み込むわけにはいかない。
最低限の流れというのは、ほかの時代については一応学校で教えているわけで、それが、確立していないところが困ったところなわけですよね。

さて続き。
【「昭和史全体を通していえることは、なんと日本人は集団的催眠にかかり、国民的熱狂に走ったか、です。】

これは、半藤氏がたびたび言っていることですね。「昭和史」の中にもありました。
これについて、反対ではないのだけど、どうしてそうなるのかなあ。それだけなのかなあ。ほんとにそんなにおおぜい心のそこから熱狂してたのかなあ。と思う。
熱狂しているように見える人のうち、何割かはほんとうに熱狂していて、何割かは、ただほかの人についていっているだけなんじゃないかなあ。
フタバの私見ですが、後者の、ただほかの人についていっているだけ、の人の割合の方が実は多いんじゃないかと。だから、「熱しやすく醒めやすい」になるのでは?

つづき。
【「自分の力も知らず、物事は自分に都合よく動くという夜郎自大な判断。これも日本人の特徴のひとつです。】

これは大いにあたっていると思います。
現代でも、その傾向ははっきりでていて、だから外交ベタってことなんでしょうね。

【「もう一つあげるなら、小集団エリートの弊害でしょうか。陸大や海大出の優秀な人材が集まった参謀本部や軍令部に絶対的な権力が集中していました。作戦を司る彼らは軍事学にはたけていたが、常識を教わっていない。ある種の”タコツボ社会”で、失敗してもかばい合って反省が次に生かされません。・・・(後略)】
【「最近では、どこの会社にも、社長室がありますね。昔の参謀本部のように、ここに社内のエリートが集められる。小集団だから同じベクトルに向きやすい。もし彼らが暴走し始めたら、蛮勇をふるって止めなければ。悲惨な結果を招いて、『あのとき反対したのに・・・・』といっても、あとの祭りなのです。」】
そうですね。
ここは賛成です。
特に後半。そのとおりだと思います。
ところで、【最近では】ということは、社長室がない会社が多い時代もあったのかしら?
知らなんだ。

posted by フタバ at 23:28 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 過去の戦争をめぐって
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのTrackBack URL
http://blog.seesaa.jp/tb/16828055
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。