2006年02月02日

(夕刊)人生のゴール 横尾忠則さんに聞く プロセスこそ面白い 本性に従って生きる

神様仏様横尾様。
かつてそのようにとなえることもあるくらい、横尾さん、大好きだった。展覧会も必ず見に行き、行くと、必ず、横尾さんが来てる日だったりして。

最近ちょっとごぶさたしてましたら、69歳におなりでした。
60歳くらいのときにみかけたときは、まあ50歳くらいにみえました。

【「長所も短所も引っくるめて知り、活用すると生きやすい。資質が社会に向かって開かれたとき、のびのびと仕事ができるのではないか」】

そうですね。
向いている職業とかもあるけど、仕事のやりかたとかね。資質が社会に向かって開かれたとき。いいなあ。

アーティストは個人的であり同時に社会的。人間はみんなそうなのかもしれないけど、それがよく見えやすい人種なのではないかしら。

【本性に忠実だった横尾少年も大人になると、「人に勝ちたい」という欲が芽生えた。例えば「画家宣言」のころ。ニューヨークで見たピカソに啓示を受け、絵を描きたいと人に話したとたんマスコミが察知した。画家への転向とばかりに騒動となり、「認められたい」という重圧となって横尾さんに襲いかかった。】

へー。
「いわゆる画家宣言」(←このようにいわゆるもカギカッコに入れるのが正しい表記だったような。かつての記憶が正しければ)って、『見栄』(認められたい)もあったんだ。
画家宣言をしてからの絵画作品展と、それまでのグラフィックデザイナーとしての仕事の回顧展みたいのが、わりと近い時期に前後してひらかれ、それを両方みにいって、横尾サンが好きになったのだった。グラフィックデザイナーとしては、あまりの仕事のうまさに感心し(浮世絵師の仕事に感心するような感覚で)、絵画作品も、なんか妙に好きだった。

【「魂が心と一致するのが理想だが、肉体の反応の方がより魂に近いのだろう」・・・「心だけで生きていくのは限界がある。心はいつも何かを要求し、人を引っぱり回す。コントロールできないものに引っぱられるのいい状態じゃありません。建前に振り回されやすい心ではなく、体や本性、つまり魂が発する本音に素直に従いたい。」】

んー。
わかるような気もするけど、そういう気になったのは、やっぱり
【「我々の年齢になると、気持ちは三十代、四十代なのに、体に無理がきかなくなる。肉体の変化と心のあり方が一致していない。心は欲望に振り回され、迷ったりウソも平気でつきますが、体はウソをつきません」】
という具合に、ふつうに年をとったからじゃないかなあ。

何にだかしらないけど振り回される心の力が多い時期も、長い人生にはあるでしょう。
若いときの葛藤はそうなのかも。

だからといって、横尾さんも年をとったねー、という感じもしないんですね。
ちょっとするかな。
十分魂の力も強いから、心の力から魂にシフトしよう、ということもできるんだと思います。
たぶんね。

グラフィックデザイナーだったころの回顧展で、新聞の連載小説の挿絵が出ていて、それがとっても素敵だった。
グラフィックの仕事も、魂の力に自信をもった今、またやってほしいなあ。
posted by フタバ at 23:55 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の芸術
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