2009年08月23日

「ニュートラル」(という題名の本、ではない)

私は、大勢の人が半蔵門の駅のまわりで帰るに帰れなくても別段平気な顔で延々30分以上も時間を潰している様子を見ていたら、ちょっと暗い気持ちになった。これは私の中のバランスと、主にマスコミの作ったバランスのズレによるものである。沿道に馳せ参じて日の丸を振り歓声を上げることを「ニュートラル」とすsるマスコミが作ったバランス(来ていた人のほとんどにとっても、それがバランスの基準になっている。だから来たのだ)に対して、私にとってのニュートラルは”パレードなんかは見に行かないこと”だ。


ここのところの最後のところ、【私にとってのニュートラルは”パレードなんかは見に行かないこと”だ。】というのは、長い間、私自身にとっても、うんうんとうなずけるところであった。
つまり共感していた。

この引用部分の少し前、文庫本版でいうと(私の持ってる平成9年の初版だと)146ページのうしろから6行目から、この章の最後のところまでは、全部引用したいくらいだ。
なぜなら何度も読んで何度もうなずき、この本全体の特に印象に残る数箇所のひとつだったから。

この本とは(もったいぶりすぎ!)こちらです。




ナンシー関の本は、(主に文庫で)本をみつけしだい即買いし、だいたい売り払っていた。亡くなってからも、何冊か買ったが、未発表あるいは自分の未読率が高くない本は手を出さず、やっぱり読んだあとはブックオフ行き。
そんな中、残っているのは、この『信仰の現場』と、対談ものの『隣家全焼』と『地獄で仏』。対談ものは、相手のあぶなっかしさとナンシーの冷静さの対比がなんともおもしろく・・・(でも最近読み返してないので今読んだらまた違うことを思うかも)。
いずれにしても、テレビの人のことを書いているものは、もちろんおもしろいのではあるが、取材したり創作したり、の文の方が読み返すのによかった、のだろう、私の場合。

この『信仰の現場』は、ほんとに取材をしていて、文を書くために「現場」にいる人に話しかけたりもしている。
私が「好き」なのは、歌舞伎座前売り券売場と発明協会の話。
それと別に、この、今の皇太子と雅子さんの結婚パレードについての章が、「思想的に」とても貴重なことが書かれている、と、ほんとにずーっとそう思っていた。

しかしですね。
このような態度を「ニュートラル」と言っている限り、やはり、憲法は改正されてしまうだろうし、在日の人々と自分の関係について真剣に考えたりすることは、決してないのではないか、という気がしてきた今日この頃。

章のほぼ終わりあたりからも引用してみる。

・・・そのヘルメット姿の活動家たち《引用者注:パレードの日に「反天皇制」の集会をしていた人たち》と、沿道で日の丸を振る人たちは、私にとっては(正反対ではあるが)同じなのである。同じ、という言い方はへんか。正と負の違いだけで同じ数値に見えるのだ。だから自分をニュートラルだと思っている私は、日の丸を振るという行動にものすごく抵抗があるし、ニコニコしながら振ってるのを見ると、何も考えてないとは知りつつも、「おいおい」と思ってしまうわけだ。
 みんな無思想で日の丸を振れる日本、がどうゆうことを意味するのか、むずかしくてわからん。自分がこうゆう暗いというか嫌な気持ちになっていると言うことは、わたしは本当にニュートラルなのか。《下線、太字は引用者》


この最後の太字下線にしたところは、やっぱりさすがナンシーだと思う。とにかくカンがいい。
そうよ、ニュートラルじゃないのよ。
ていうか、ニュートラルなんてないのよ。

よく、なにかコトがおきると、「ナンシーだったら何ていったか・・」と言う人がいたけど、私、生前はそこそこ熱心な読者だったつもりもあるけど、それは違う、ような気がずっとしていた。
その説明は今でもうまくできないけど、そういう気がする。

彼女はとにかく、非常に冷静だし落ち着いていた。
あの若さで、幾重にもつみかさなったよくわけわからない世間の上澄みの、色や質をちゃんとみて、それをのけたらどんな地面の模様が出てくるのかを見ることができた。
その時点での地面をニュートラルというならそうだけど、そこから先、がほんとはさらにあるのだ。
ナンシーの掘り下げが浅はか、という意味ではない。
世間の上澄み、というのは、日本では大変質量が大きく、地面に足がついていなくても、それをまとっただけでニホンの大地の上にいることができる。
その中で、とりあえず地面にまでは到達していた彼女は、やはり稀有の存在だった・・・のかもしれない。

だけど、さらに地面の模様のその下をみないと、なんでそういう模様になっているかをほじくり返さないと、歴史というのはつかめないのではないか。

でも、つかみたくない、という気持ちもあるのではないか。
それが、自らを「ニュートラル」というような気持ち・・だろうか。
(このへん、自分に言っている)

とにかく、自分としては、この、若い頃に出会って座右の書、と思ってきた本についてこのようなことを思うようになるとは、意外であった。






posted by フタバ at 22:52 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース本ニッキ(本の感想)
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