2009年02月19日

村上春樹スピーチ@エルサレム関連つづきその2。

前々回のエントリーにて、「村上春樹はNKY」と私は書いた。これについて。

今回の彼のスピーチは、従来の彼のファンが安心する範囲内だった、という意味で、「KYでなかった」、と思う。
かつて、スーザン・ソンタグは、もっと「過激」なスピーチをして授賞式会場にて否定的反応があったそうだが、そういうこともなかったようだし。多少不満顔な人はいたにしても。
なんていうのかしら、ペレスのとなりに写っている写真をみて、「これで、村上春樹も、エルサレム賞のワンノブコレクションにとりこまれちゃったなー」って印象を持ってしまった。
私はとにかく、何度も言うが、彼の文は本2冊分しか読んだことがなくかつ、そのときに、よくもわるくもたいした感想をもてなかったので、ほんとにどういうことを言いそうか想像がつかなかった。
(より細かくいうなら、しかも読んだのが「風の歌を聴け」という初期作&ベストセラーの「ノルウエーの森」で、サリン事件とか震災とかにインスパイアされたらしい作品を読んでないので、なんといおうか、基礎知識レベルに達してないような気がしている)

あと、彼はなぜ、海外でも人気があるのか?
その秘密がいまだによくわからない。
(それももちろん、上記カッコ内のような事情だから、かもしれないけど)
イスラエルに読者がいることはわかった。
ではパレスチナには?
もし図書館があったとしてもどうせ空爆されてるだろうしなあ。
もし、パレスチナにも読者がいたとして、その人たちはこのスピーチ知っただろうか。知ったらどう思っただろうか。

もし今回彼が、受賞辞退をしたとしたら、それは、彼が空気を読みたい集団の中では「KY」的行為になったんじゃないだろうか。
受賞辞退の場合は、それなりにコメントをつけざるを得ないわけで、「何か言う」チャンスは、辞退してもあるわけです。でもその場合には、辞退という行動自体ですでに何か「ものを言う」ことになるので、方向性はそれで決まるわけで、その方向性は、彼が空気を読みたい集団の中では「KY」になるのだと思います。
で、うまくいえないけど、彼は、必死で、「KY」にならないよう努力しているわけじゃなく、無理してるわけじゃなく、「NKY」だなあ、と思った。それってとても日本人的だとも思うのですが、それでも海外で人気があるというのが、やっぱりほんとうに不思議だ(・・・と、それを追及したいなら、もっと本を読め、ってことですね)。

   
***

以前のエントリーでとりあげたブログ「私の闇の奥」に大変興味深いことが書いてあった。
マイケル・ムーアの発言を許容するアメリカ社会、スーザン・ゾンターク、村上春樹の発言を許容するイスラエル社会、この現象は、これらの二つの社会が言論の自由が保たれている社会であるという虚像を他に信じさせ、自分も信じたいと願う集団心理の発現であると私は考えます。しかし、異端的な発言が許されるのは、それを許しておくことが「言論自由社会」のイメージに貢献する限りにおいてであって、もし実害が生じて、全体の算用がマイナスになれば、即刻停止ということになる筈です。
 上にも引用した現地英字紙エルサレム・ポストは、イスラエルの外務省から村上春樹さんに送られた手紙に中には、「あなたのエルサレム賞受賞がイスラエルにとって持ち得るどのような性質のプロパガンダとしての価値があるか、・・・、をよろしくご勘案くださいますよう伏してお願い致したく、・・・」といった文面が含まれていたと報じています。これでは、ゾンタークさんや村上さんがどんなに啖呵を切ってみても、所詮は、お釈迦様の掌の上を走り回る孫悟空のようなものです。私は、こういう形で、有名な作家や音楽家などの芸術家たちを利用する権力システムの企みを憎みます。

ピンクに色変えしたのはわたくしです。
イスラエル、手紙にそんなこと書いてたんだ。
受賞するなら仲間ですよ、といってるも同様じゃないですか。
やっぱりコレクションされちゃったんだな、村上春樹。
posted by フタバ at 04:40 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | かんがえてるとちゅうメモ

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