2009年12月15日

「天皇の政治利用」

あんまりいろんな記事を読んでいないのだが。

宮内庁に意見1千件超、羽毛田長官支持が多数
 天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見が特例扱いで決まった問題は、「二度とあってほしくない」と苦言を呈した宮内庁の羽毛田(はけた)信吾長官に対し、民主党の小沢幹事長が14日、「辞表を出して言うべきだ」と応酬し、さらなる波紋を広げている。


 同庁には羽毛田長官を支持する声が相次ぎ、識者からは小沢幹事長の発言を疑問視する意見も聞かれた。

 羽毛田長官は14日夜、天皇陛下のお住まいの御所から宮内庁の長官室に戻った後、待ち構えていた報道陣に応対。「これまでの(1か月)ルールで会見をお断りした国に、『うちは政治的に重要でないのか』と言われた時、どう答えたらいいのか」と、改めて陛下と習副主席の会見の設定に苦言を呈した。

 同庁によると、政府内で申し合わせて「1か月ルール」を厳守することになった2004年以降、例外が認められたのは1度だけ。05年1月にタイから上院議長の会見希望が寄せられた時で、1か月前という期限を1日過ぎていたが、同国は直前のインド洋大津波で被災していたため、「やむをえない」と政府が判断して会見が実現した。

 天皇の政治利用という観点から、今回の会見に羽毛田長官が懸念を表明した11日以降、同庁には、電話や電子メールで1000件以上の声が寄せられているという。その多くは「特例扱いはおかしい」として羽毛田長官に賛成する意見で、長官を激励するものも目立つという。

 「国家の品格」などの著書がある藤原正彦・お茶の水女子大名誉教授は、「小沢幹事長は衆院選で圧勝したので、何をしても『民意』で通ると思っているが、間違い」と指摘。「民主党政権の官僚バッシングの中、あえて苦言を呈した宮内庁長官の勇気を国民は支持するのでは」と話す。現代史家の秦郁彦さんも「1か月ルールの背景には天皇陛下の健康問題もある。小沢幹事長の『優位性の低い行事はお休みになればいい』との発言には、敬意が全く感じられない」と批判している。

天皇の政治利用というのは、常にされていることではないんだろうか、というのがこの話題で不思議な点。
日本国の象徴たる天皇が、各国要人に会うというのは、政治的社交以外のなにものでもないだろう。「親善」というのだって同じことだ。

【「これまでの(1か月)ルールで会見をお断りした国に、『うちは政治的に重要でないのか』と言われた時、どう答えたらいいのか」】というのも政治的配慮だよね。

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

というのが憲法第3条の書いてあるが、だからこそ、うまく遂行できるように、1ヶ月ルールとかも考えているのだろう。

ほかの記事でも(朝日ドットコム)

中国の習近平副主席、天皇陛下と会見へ 異例の直前決定2009年12月11日15時2分

 14日に来日する中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席が天皇陛下と会見することが11日、分かった。外国要人の天皇との会見は通常、1カ月前に調整する必要があるが、中国側から日程が伝えられたのは11月下旬。政府関係者によると会見は見送られる方向だったとされ、異例の変更となった。

 胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席が1998年に副主席として来日した際、天皇陛下と面会した。このため中国側は、胡氏の有力な後継候補とされる習氏にも同様の対応を求めていたという。

 平野博文官房長官は11日の記者会見で、「官邸としては、政治的に日中関係は非常に重要であるということからぜひお願いできないかと申し上げた」と語った。鳩山由紀夫首相から指示があったという。天皇陛下の政治利用にあたるのではないかとの質問に平野氏は、「中国の要人が来るということでお会いしてくださいというのは政治利用でも何でもない」と説明した。


となっているが、「中国の要人が来るということで会うことにする」というのはもちろん政治利用で、それが、最終的何の役にたつのか、どういう効果があるのか、という点から論ずるべきで、政治利用であること自体は当然のことだ。

どうして新聞と役人は結託して、すっとんきょうな言葉づかいをするのだろう。
今回の首相の判断と決定に反対する向きは「そういう政治利用の仕方はまちがっていて、ああいう政治利用の仕方をすべきだ」というように批判するべきだと思う。
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2009年10月14日

主張】被爆地・五輪 政治が先走っていないか

2009.10.14 03:04、産経ニュースネット版より。

 「平和を祈願する被爆都市」の広島、長崎が世界に訴える力をもつのは確かだ。「核兵器のない世界」の実現を呼びかけたオバマ米大統領のノーベル平和賞受賞が決まった直後で効果的な表明でもあった。

 しかし、五輪は第一には「スポーツの祭典」である。今回の招致表明は「政治」が先行し過ぎているのではないか。

 両市が主導する世界3147都市加盟の平和市長会議は「2020年までの核兵器廃絶」を提唱している。それと合わせ「その年にぜひ、広島、長崎で五輪を開きたい」(秋葉忠利広島市長)、「被爆都市で五輪にチャレンジし、平和への国際世論を盛り上げたい」(田上富久長崎市長)との発言は政治的色合いを帯びている。

まだ広島長崎両市長の主張をよく読んでいないのだが、この【主張】欄筆者とは別な意味で、今度の招致表明には、私も反対である。

それにつけてもツッコミどころ満載なので引用してみよう。

まず第一に、政治的なのが何が悪い。
オリンピック誘致なんて、誰がやったって、政治的以外のなにものでもない。

むろん核兵器のない世界を目指すことに異論はない。しかし、唯一の被爆国である日本が戦後、米国の核の傘の下で平和と安定を保ってきた厳しい現実は直視しなければならない。

ホンネはここねー。
その、唯一の被爆国である、動作単純的直接原因は米国なのに、米国に気を遣う。【厳しい現実】だわーホントに。

オバマ大統領の呼びかけの主眼は、ただちに核を廃絶するのではなく、北朝鮮やイランへの核拡散を防ぐことにある。現実政治を超越した五輪の看板に、現実を見据えた対応が求められる核問題を掲げるのは適切ではない。そのことをあえて指摘しておきたい。

そう、【ただちに核を廃絶するのではなく】、特定のどこかが持つのを妨害するためなのよねー。
【現実政治を超越した五輪】てところは、ズレてるのもいいとこでしょう。どこぞの知事は、スポーツが大好きでたまらなくて、スポーツなんて単なる趣味のひとつでしかないのに、税金を私物化してその趣味関係のために浪費した、ってこと?

広島長崎両市長が、現米国大統領の意図が【ただちに核を廃絶するのではなく】だと認識しているのにあえて挑戦しているのだったら、それはそれですぐれて政治的、なのかもしれない。

この【主張】筆者は、核兵器の全廃ということは考えていないのだと思う。【核兵器のない世界をめざすことには異論はない】っていうのは【平和を願うのには異論はない】っていう、ただそれだけのことなんだろう。核兵器つきアメリカの傘下でこれからも日本(だけ)「平和」に、って、そういうことなんだろう。


【五輪招致】「聞いてない」「見守る」広島、長崎両県知事


という記事もあり、実際問題は、その記事にあるように、

一方、長崎県の金子原二郎知事は「推移を見守っていくしかない」と静観の構え。定例記者会見で「精神面での協力はするが、県に(金を)出してくれといわれても財政状況が厳しいので難しいかもしれない」と述べるにとどまった。


という具合にきわめて「実際的」な理由により実現は不可能だとは思う。

さて、この産経の両記事で書いてあることとは別に、私はこの長崎広島の招致表明に意義をとなえたいのだが、材料不足なのでまたこんど。

たとえば、平和市長会議というのには、いったいどこ都市が参加しているのか。そんなことも、自分への宿題です。


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2009年08月23日

「ニュートラル」(という題名の本、ではない)

私は、大勢の人が半蔵門の駅のまわりで帰るに帰れなくても別段平気な顔で延々30分以上も時間を潰している様子を見ていたら、ちょっと暗い気持ちになった。これは私の中のバランスと、主にマスコミの作ったバランスのズレによるものである。沿道に馳せ参じて日の丸を振り歓声を上げることを「ニュートラル」とすsるマスコミが作ったバランス(来ていた人のほとんどにとっても、それがバランスの基準になっている。だから来たのだ)に対して、私にとってのニュートラルは”パレードなんかは見に行かないこと”だ。


ここのところの最後のところ、【私にとってのニュートラルは”パレードなんかは見に行かないこと”だ。】というのは、長い間、私自身にとっても、うんうんとうなずけるところであった。
つまり共感していた。

この引用部分の少し前、文庫本版でいうと(私の持ってる平成9年の初版だと)146ページのうしろから6行目から、この章の最後のところまでは、全部引用したいくらいだ。
なぜなら何度も読んで何度もうなずき、この本全体の特に印象に残る数箇所のひとつだったから。

この本とは(もったいぶりすぎ!)こちらです。




ナンシー関の本は、(主に文庫で)本をみつけしだい即買いし、だいたい売り払っていた。亡くなってからも、何冊か買ったが、未発表あるいは自分の未読率が高くない本は手を出さず、やっぱり読んだあとはブックオフ行き。
そんな中、残っているのは、この『信仰の現場』と、対談ものの『隣家全焼』と『地獄で仏』。対談ものは、相手のあぶなっかしさとナンシーの冷静さの対比がなんともおもしろく・・・(でも最近読み返してないので今読んだらまた違うことを思うかも)。
いずれにしても、テレビの人のことを書いているものは、もちろんおもしろいのではあるが、取材したり創作したり、の文の方が読み返すのによかった、のだろう、私の場合。

この『信仰の現場』は、ほんとに取材をしていて、文を書くために「現場」にいる人に話しかけたりもしている。
私が「好き」なのは、歌舞伎座前売り券売場と発明協会の話。
それと別に、この、今の皇太子と雅子さんの結婚パレードについての章が、「思想的に」とても貴重なことが書かれている、と、ほんとにずーっとそう思っていた。

しかしですね。
このような態度を「ニュートラル」と言っている限り、やはり、憲法は改正されてしまうだろうし、在日の人々と自分の関係について真剣に考えたりすることは、決してないのではないか、という気がしてきた今日この頃。

章のほぼ終わりあたりからも引用してみる。

・・・そのヘルメット姿の活動家たち《引用者注:パレードの日に「反天皇制」の集会をしていた人たち》と、沿道で日の丸を振る人たちは、私にとっては(正反対ではあるが)同じなのである。同じ、という言い方はへんか。正と負の違いだけで同じ数値に見えるのだ。だから自分をニュートラルだと思っている私は、日の丸を振るという行動にものすごく抵抗があるし、ニコニコしながら振ってるのを見ると、何も考えてないとは知りつつも、「おいおい」と思ってしまうわけだ。
 みんな無思想で日の丸を振れる日本、がどうゆうことを意味するのか、むずかしくてわからん。自分がこうゆう暗いというか嫌な気持ちになっていると言うことは、わたしは本当にニュートラルなのか。《下線、太字は引用者》


この最後の太字下線にしたところは、やっぱりさすがナンシーだと思う。とにかくカンがいい。
そうよ、ニュートラルじゃないのよ。
ていうか、ニュートラルなんてないのよ。

よく、なにかコトがおきると、「ナンシーだったら何ていったか・・」と言う人がいたけど、私、生前はそこそこ熱心な読者だったつもりもあるけど、それは違う、ような気がずっとしていた。
その説明は今でもうまくできないけど、そういう気がする。

彼女はとにかく、非常に冷静だし落ち着いていた。
あの若さで、幾重にもつみかさなったよくわけわからない世間の上澄みの、色や質をちゃんとみて、それをのけたらどんな地面の模様が出てくるのかを見ることができた。
その時点での地面をニュートラルというならそうだけど、そこから先、がほんとはさらにあるのだ。
ナンシーの掘り下げが浅はか、という意味ではない。
世間の上澄み、というのは、日本では大変質量が大きく、地面に足がついていなくても、それをまとっただけでニホンの大地の上にいることができる。
その中で、とりあえず地面にまでは到達していた彼女は、やはり稀有の存在だった・・・のかもしれない。

だけど、さらに地面の模様のその下をみないと、なんでそういう模様になっているかをほじくり返さないと、歴史というのはつかめないのではないか。

でも、つかみたくない、という気持ちもあるのではないか。
それが、自らを「ニュートラル」というような気持ち・・だろうか。
(このへん、自分に言っている)

とにかく、自分としては、この、若い頃に出会って座右の書、と思ってきた本についてこのようなことを思うようになるとは、意外であった。






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2009年08月15日

経営者の発想

家賃滞納情報を一括管理、ブラックリストに 保証業界朝日ドットコム2009年8月15日

賃貸住宅入居者の連帯保証を請け負っている家賃保証会社が共同で、滞納者らの信用情報の一括管理に乗り出す。情報のデータベース(DB)化を進める社団法人を今月末に設立する。家賃滞納者のブラックリストをつくり、滞納常習者を締め出す。家賃を一度でも滞納してリストに載ってしまえば、その後の住まい探しが困難になる恐れがある。

保証会社が今後契約する分が対象で、入居者の同意を得て登録する。更新契約も対象になる。ただ、立場の弱い入居者が契約時に登録を拒むことは実際は難しいとみられる。明け渡し訴訟の情報は過去のデータも記録される。

 制度の詳細は未定だが、入居者は個人情報保護法に基づき、自分の登録データの開示を求め、間違いがあれば訂正することも可能になる見込みだ。だが、そうした手続きをとらなければ、入居者がリストの内容を知ることはない。契約の際、家主側から一方的に拒まれる恐れは消えない。



もうすぐ消費者庁とかいう機関ができるらしいが、今、にほんに住んでいる人は、「お金を払う人」にしか価値がないのだな。
私は、モノを売る仕事をしているが、こういう記事をみると「お客様」にこんなに強気に出られる「ショーバイ」があるなんて信じられない。
消費者庁が何をするのか知らんが、何か買う人のことは、政府ぐるみで「保護」するんですか?

業界側は、家賃をきちんと払っている入居者の信用力を高め、職業や年齢、国籍などを理由に門前払いされるケースを防止できると強調している。ただ一時的な家賃滞納でも、いったんDBに載れば、常習者と同様に賃貸住宅を借りにくくなる可能性がある。


で、「お金を払う人」であれば、【職業や年齢、国籍などを理由に門前払い】はしないのかなあほんとに。
たしかに、きちんと払う能力があって自分が今ひとりぐらしの85歳だとして、でも85歳だったらやっぱりことわられるのではないか。

■家賃保証会社 賃貸住宅の契約時に入居者から一定の保証料を取り、連帯保証人となる。入居者が家賃を滞納した場合、肩代わりする。立て替え分は後日回収する。滞納が続くと、明け渡し請求手続きを代行することもある。

 連帯保証人を見つけられない低所得者が増えたうえ、滞納を避けたい家主側の需要もあり、業界は急成長。国土交通省によると全国で約70社。民間賃貸契約の約4割にかかわっているとのデータもある。民間信用調査会社の調べでは把握できる29社の売り上げは08年は約218億円で、2年前の2倍以上に達した。

【立て替え分は後日回収する。滞納が続くと、明け渡し請求手続きを代行することもある】
・・・こわそうな予感。

生活困窮者のアパート入居の際の連帯保証人になっているNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」の湯浅誠事務局長は「業者から一方的に『悪質』と認定され、ホームレスになる人が増える恐れがある。雇用政策や福祉対策も考えないと、社会を不安定にする要素がさらに増えてしまう」と批判する。(


必ずこの人にききにいくのね。
この人のNPOがやってるような仕事は、役所の仕事だと思いますが。

このことを記事にしたのは良いと思う。
しかし、以下の箇所に、瑣末なことかもしれないが、ちょっとツッコミを入れたい。
 DB構想の背景には、不況で収入が減り、家賃を払えない入居者が増えている事情がある。保証会社が家賃を肩代わりするケースが続出し、保証会社による悪質な「追い出し」も社会問題化した。このため、家賃滞納などのトラブルを未然に防止する方策として、DB構想が浮上した。 (太字引用者)

【家賃を払えない入居者が増えている】結果として
@保証会社が家賃を肩代わりする
A保証会社による悪質な「追い出し」も社会問題化した。
と二つのことがおきている、と書いてあるわけだが、そのあとに、
【このため】
として、【DB構想が浮上した】
とあるが、この構想は、@にしか対応してないですよね。
もちろん、上記のように湯浅氏の話をのせたり、
日本では、「住まい」は様々な権利の基点とされる。住居がないと住民票が作れず、国民健康保険や年金が得られなかったり、選挙に行けなくなったりする恐れがある。

と書いたりしてはいるけど、この部分だって、住民票がどうのこうの以前に、住居があることが人間の基本的人権、住むところがないってこと自体が困ったことじゃないの、ということを書いていない。当然すぎることで書かなくてもいいという判断なのかな。でも書いた方がいいと思う。書かないとわからない人もいそうだから、今は。

****

この記事もねえ。

セブン―イレブン、見切り値引き店の契約切り相次ぐ朝日ドットコム2009年8月15日

弁当の値引き販売の制限が問題になったコンビニエンスストア最大手セブン―イレブン・ジャパン本部が7月以降、値引き販売をしている複数の加盟店主に対し、契約解除を通告したり、解除を示唆する文書を送ったりしたことがわかった。本部は「それぞれに加盟店契約違反があり、意図的なものではない」と説明しているが、店主らは「値引き販売への報復だ」と反発している。


なにか、すぐれた経営者というのは自社が儲かることだけをすることなのだな、と思う今日この頃。

posted by フタバ at 11:01 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 気になった記事メモ

2009年08月04日

「姜尚中はどこへ向かっているのか」の続き。

前回エントリーでもとりあげた金光翔氏のブログ記事、第4回目に入った。

姜が出現を憂慮した、この「シビック・ナショナリズムという形で共和主義と結びつけられ、共同体の一員であることにおいてはじめて一人前の人間として認められるという排他的なナショナリズムが台頭し、それがデモクラシーと結びつく」という事態こそ、現在のリベラル・左派における、「ナショナリズム」擁護の合唱という現象として現れているものである。姜は、「ナショナル・スペースに限定されたデモクラシー」を、結局超えられなかったようである。むしろ、「反日」ではない在日朝鮮人を、どうか、「ナショナル・スペース」に入れてほしいという主張が、現在の姜の立場だと思われる

(太字、下線は私)

この事態というのは、もともと日本にあったものではないかと私は思う。こういう態度をとるひとっていっぱいいる。
戦争中からずーっとそうなのでは。

上記で太字下線にした部分が入っている、もともとの姜氏の言葉の部分を前後含めてもういちど孫引用してみる。

「姜 小林よしのりの漫画がなぜ売れるのかというと、私というものを支えきれない人間に訴えているからです。私と公をどの具体的な関係のなかで再定義していけるのかをきちんと問題化しないと、シビック・ナショナリズムという形で共和主義と結びつけられ、共同体の一員であることにおいてはじめて一人前の人間として認められるという排他的なナショナリズムが台頭し、それがデモクラシーと結びつくということがあり得る。ナショナル・スペースに限定されたデモクラシーという考え方を、どうやってわれわれが超えられるのか」(石田英敬・鵜飼哲・姜尚中・小森陽一「座談会 国旗・国歌法のあぶり出すもの」『世界』緊急増刊「ストップ!自自公暴走」1999年11月刊、150頁)


私というのものを支えきれない人間。
それは「日本人」のへいきんてき姿では?
にほんのこくせきがない、がいこくじん、には、国籍がないから人権もないよね、というような「はてなブックマークコメント」というのをいくつも読んだことがある。
「にんげん」には基本的人権がある、みたいなちゅうしょう的な話が、にほんじんは大変に苦手。にほんじんでもなく、かんこくじんでもなく、ただの私。あなた。というのをとらえきれない。
それのおかしさを、どう定義していいかわからなかったのだけど、上記1999年時点での姜先生の言葉を借りると、
【私と公をどの具体的な関係のなかで再定義】することができないからそうなるんだな。
なるほど。大変勉強になった。
姜先生のおことば、昔のものはとてもわかりやすく響いてくる。
「天皇制」についての言葉も、大変わかりやすかった。

前回エントリーでも書いたが、日本の共同体は、あるいは日本の社会は、作法をおぼえてオトナになれば、もうものすっごく居心地がいい。年をとるとますますその居心地よさが、手放しがたいものに感じるのではないか。

ところで、最近の姜尚中と言えば、二言目には「故郷」の熊本への愛を表明し、「愛郷心」「パトリ」の価値を称揚することで知られる。


その具体例としてあげられているのが、これ。↓
「「郷土」への愛着は、わたしの中に身体化された記憶として生き続けています。雑木林や稲刈りの後の広々とした田、夏の光にキラキラと輝く水源が、大人の眼の届かないわたしたちだけの「ワンダー・ワールド」でした。(中略)郷愁を誘う数々の記憶が昨日の出来事のようにわたしを捉えて離さないことがあります。/きっとこの感覚は、たとえナショナリティの違いによる屈折があるにしても、分かち合うことのできる記憶ではないかと思います。そしてすべての人々が、「日本人」や「日本国民」という前に、そのような「郷土」あるいは「故郷」への愛着がどこかに仕舞い込んでいるのではないでしょうか。たとえ、「郷土」と言えるほどの記憶の場所を持たず、絶えず移動を余儀なくされていたとしても、想像の中だけでもそうした「郷土」を持ちたいと思ったことはなかったでしょうか。」(153〜154頁)


ふつうの日本人だって、故郷にはアイをも感じるかもしれないが、苦い思い出だってあるはずなのである。
だから、故郷のよさを称揚してもいいけど、心のそこから100%か、とといつめれば、多くの人がいやそうでもない想いもあるけど・・というのではないだろうか。
このように、ある程度の年齢になってから「故郷を想う」というのは、今、それなりに社会的にせいこうしてるからじゃないの?

今の時点での仮説byフタバ。
「日本育ちの男でそれなりに成功している場合、中年すぎると「故郷」を想い、「個人」を忘れる。」

ここでフタバと名乗っている私自身、姜氏の言動について追ってきているわけではない。しかし、この金氏の記事を読むかぎり、まさに、

………姜先生、姜先生。天皇制の件もそうでしたが、2002年から2006年の4年間の間に、一体何があったんですか?姜先生、あなたは本当に同一の人物なんですか?


といいたくなるくらい変化がおきているのだ、ということはわかった。
でも・・・でもですね。
ひとりの人物で、これくらいの変化がある、ということは、これも十分発生しうることなのではないかと思う。
赤瀬川原平しかり。
とはいえ、【2002年から2006年の4年間】に、姜尚中は、単に、年をとった、のである、というのじゃあ何だから、金氏のさらなる追跡・分析=連載の続きを待つ。

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2009年08月03日

「姜尚中はどこへ向かっているのか−在日朝鮮人の集団転向現象」を読みつつ。

昨年から読んでいるブログ「私にも話させて」で、ただいま連載中の記事についてメモ。

この姜尚中の「転向」だが、3回目までを読んだところで、こちらの記事にとりあげられている赤瀬川原平を思い出した。

一周回ってワンと鳴く

姜氏は日本生まれで日本育ち。肌で感じてしみこんでいるのは日本社会の感触なのではないかと想像する。
日本社会とは、ステキげな言い方をあえてするなら「和を重んじる」わけで、すなわち、突出しないことが美徳。
その日本社会で受け入れられて生きることの心地よさよ!
赤瀬川原平は、「質感」にこだわっている人だと思う。だから、若いときには、社会における細かい違和の質感に敏感になり、年とってからは、それこそ年とって疲れたから、社会における、自分の違和による疲れにも敏感になったのだ。だから、うまくなじむと気持ちいい。そう感じるようになったのではないか。

日本社会の同調圧力は、違和を抱えた者にはものすごい圧力だが、同調の仕方をおぼえて社会側にまわれば、これほど居心地の良い社会はない。

とくに年をとってから、違和を抱えたままであると、まわりの、違和をなくしたほかのオトナから、敏感に察知される。いい年しても違和を抱える人は、日本社会においては「オトナ」と扱われないのだ。

日本社会にいても、女であれば、何歳になっても、社会が自分を違和として扱う経験をしがちである。
でも男は違うもんね。
「立派な大人」になれば、どんな「やんちゃ」をしても赦されたりする。
ましてや、赤瀬川さんとか、姜さんとか、「九州男児」ではないか。

その、「立派な大人」を擁する日本社会は、日本国家とのつながりが強靭である。戦後、そのつながりの強靭さはどんどん増してきているのではないか。
という状況を、非常に鋭くとらえた姜氏の文を、「私にも話させて」ブログから、孫引用。

天皇制は、私の言葉を使えば、「舶来品の国産化」でした。いわば、舶来の国産品をいかにして国体の護持という形で作り出すかが象徴天皇制のひとつの眼目だったわけですが、これはアメリカの覇権のもとに日本がいる限りにおいて初めて存続を許されるものでした。/この象徴天皇制の担保として、第九条がウルトラCとして差し出されました。しかし日本の戦後平和主義は第一条には手を着けず、第九条にのみすべてのアイデンティティを置いてきました。しかし、この第九条の成立過程を見ていくならば、第一条が眼目であることはあきらかです。第一条を認めさせるためには第九条という日本の軍事的な去勢化が必要だったのです。これをしないかぎり、恐らく極東委員会や連合国はマッカーサーが構想したような国体護持を決して許さなかったでしょう。戦後の民主主義は第一条についての論議をほとんどネグレクトしてきました。そのつけが今出てきているわけです。/象徴天皇制は非常によくできたシステムで、国の側からすると、法制化しないことによって、社会の内部と私たちの意識に浸透できるこれほど望ましい象徴政治はありません。
姜尚中はどこへ向かっているのか−在日朝鮮人の集団転向現象 2」より


違和を抱えた人への「日本人」(日本社会への同調技術をマスターした)および「日本社会」(同調基調で貫かれ国家方針とも無意識のうちに合致した)からの圧力は、圧力をかけられる方にはものすごく感じられるかどかける方は、自分が力をかけていることすら気づかないような性質のものだと思う。

でも、赤瀬川原平のもっていた違和は、年をとればなかったことにできるものだけど、姜氏の違和のモトは、なかったことにできないもののはずではないだろうか。
それともできるのだろうか。

姜氏にとって、違和のモトとの折り合い、戦い、つきあい方、なんといっていいかわからないが、その対応の仕方というのか、それに関する悩みは、私にとっては、想像もつかないような内容なのかもしれない。
でも、違和をもつ人が、社会の中にいるというのは、自分なりの違和をもつ私にも、ヘンな言い方だが、「安心できる」ことなのだ。
ただ、姜氏の違和の「モト」は、個人の感性とか素質とかとは関係のないところでおきたことが起因しているわけで、そこは忘れるべきではないな。

とりあえず、今はここまでメモ。
posted by フタバ at 07:22 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 気になった記事メモ

2009年08月02日

東京における広大なる緑地について

出典がわからず、現状もそうであるかわからないのだが、ここ10年以内に読んだ新聞記事かなんかで、東京都のカラスのことが書いてあった。
ごみの多い東京には、雑食のカラスの数が多い。そのカラスたちのねぐらは、都内あちこちにある公園の森である。まあ森ってほどでなくても、木立がちょっと多目にあるところ、程度でも良いらしい。昔の武士の屋敷跡を公園にしたようなところは、都内にたくさんあり、筆者宅の近所にもひとつ庭園があるが、夕方その付近を歩くと、カアカア鳴きながら、すごい勢いでカラスが集結してくるのを見ることができる。

で、都内最大のこの手の緑地は、当然、千代田区の皇居なわけだが、そこではカラスが減っている、という記事を読んだのだ。つまり、相当広い敷地で、かつ、できるだけ人の手を加えないように、という先代の意向もあり、かなり「自然そのまま」の状態の森ができあがり、そしてそこまでの規模の森になると、食物連鎖ピラミッド上、カラスの上、カラスの天敵にあたる、大型猛禽類(たしかタカ・・だと思ったけど。)ですら森に住んでいるので、皇居でだけカラスの数が減っているのだ、ということだった。
(再び強調しますが、これ、出典もわからないし、いつの記事かもわからないので、現状、皇居のカラスが減っているかはわかりません

長くなったが、この話をよんで、私は、へーえ、100年前後くらいでも、そんなに「自然」的状態というのは復活できるものか、と感心もし、そして同時に、そのように『自然のまままほっておく』といった気の長い、それなりに意志を感じさせる決断というのは、天皇制がかかわらないと、日本人にはやっぱりむずかしいだろうな、とあらためて思ったのだった。

つまり、もし天皇制を廃止した場合、皇居をどうするのか、という問題が当然起きる。
都内一等地、広大な土地。そこにびっしりマンションや商業施設を建てましょう、とまで短絡に企業的でなくても、「公共施設」の名のもとに誰かが利権を得るような利用の仕方にはなるんではないかと思われる。サッカー場をつくろうとか、絶対誰か言いそう。
とすると、タカだかワシだかいるような森はどうなってしまうのか。そのまま残すことがむずかしいのではないか。
森だけでなく、とにかく、土地を、ただ空けておく、という状態でガマンをすることは、きっとできないだろう、日本人オジサン連中には(なぜオジサンかというと、今だに、ロクでもないことを決められる権力をもつ人というのはほとんどが、老若は別としてオジサンだからである)。

もうひとつ、意志によって、すばらしい「自然」をつくりだした例がある。それは明治神宮のまわりにひろがる森。
詳細はこちらを。

明治神宮の自然・見どころ

↑ここから引用

創建当初明治神宮に何を植えたら立派に育つか、また100年後自然の状態になっていくのか、当時の学者たちが考えました。そして椎・樫などの照葉樹を植えることに決定したのです。

 理由は大正時代、すでに東京では公害が進んでいて、都内の大木・老木が次々と枯れていったのでした。そこで百年先を見越して神宮には照葉樹でなければ育たないと結論づけたのでした。


この学者さんたちの功績はたしかにたたえられるべきではある。
大隈重信が杉にしろといったらしいが、その発言は、林業(?)に不案内な人のものでしかなく、そのえらいさんの言葉を退けて、学者さんたちがあくまで照葉林にこだわることができたのは、なぜなのか?
やっぱりそれが、「御苑」だったからではないか。

つまり、皇居の森も、明治神宮の森も、人民が人民のためにと努力した結果できたものではないのだ。
筆者宅近所の、からすのねぐらの庭園も、武士の屋敷あと。武士階級というのがもたなくなったから放出されただけのこと(武士からすぐ民にでなく、途中、ザイバツの人が持ってたんだけど)。

そして、それらが今も維持されているのは、端的にいえば天皇制があるからだと思う。「体が不自由な人のため」とかなら、短い間で廃止になっただろう。

そういう、自分たちのために自分たちの責任においてつくったのではない何か、が「公共の癒しの場」として機能しているスポットがたくさんあるのが東京。


***

以上、こちらの↓ブログ記事を読んでいろいろ考えた(というかぐるぐる思った)ことをメモしてみた。

姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 2
posted by フタバ at 08:33 | 東京 ☁ | Comment(1) | TrackBack(0) | かんがえてるとちゅうメモ

2009年06月29日

米核持ち込み:密約文書引き継ぐ 村田元次官が証言

新聞記事はすぐなくなるので、「魚拓」がわりに引用しておく。


米核持ち込み:密約文書引き継ぐ 村田元次官が証言
 1960年の日米安全保障条約改定時に核兵器搭載艦船の寄港などを日本側が認めた密約について、87年7月に外務事務次官に就いた村田良平氏(79)=京都市在住=が、前任次官から文書で引き継ぎを受けていたことを明らかにした。村田氏は28日夜、毎日新聞の取材に「密約があるらしいということは耳に入っていたが、日本側の紙を見たのは事務次官になったときが初めて」と証言した。日本政府は密約の存在を否定しており、歴代外務次官の間で引き継がれてきたことを認める証言は初めて。

 村田氏によると、密約は「外務省で使う普通の事務用紙」1枚に書かれ、封筒に入っていた。前任者から「この内容は大臣に説明してくれよ」と渡され、89年8月まで約2年間の在任中、当時の倉成正、宇野宗佑両外相(いずれも故人)に説明。後任次官にも引き継いだという。

 60年の安保改定時、日米両政府は在日米軍基地の運用をめぐり、米軍が核弾頭の持ち込みを含む装備の重要な変更などを行う際は事前に協議することを確認したが、核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過、米軍機の飛来は事前協議の対象としないことを密約。この密約は81年5月、毎日新聞がライシャワー元駐日大使の「核持ち込み」証言を報じて発覚したが、日本政府はその後も「米側から事前協議がない以上、核持ち込みはなかったと考え、改めて照会はしない」と密約の存在を否定し続けている。

 村田氏はこうした日本政府の対応について「詭弁(きべん)だ。いつまで続けるのか、ぶぜんとした気持ちだ」と批判。密約に関しては「冷戦時代だし、日米それぞれの都合もあれば、機密もあっての話だから、とがめだてする話でもない」と存在を認めるよう求めた。さらに、非核三原則で禁じた「持ち込み」の中に核搭載艦船の寄港や領海通過を含めたことは「ナンセンスだ」として見直しを主張している。

 また、77年制定の領海法で宗谷、津軽、対馬など5海峡の領海の幅を3カイリと規定したことについて、村田氏は「(国連海洋法条約で認められている)12カイリまで広げればいいものを広げていない。おかしいと思っていたけど、直接関係していなかったから黙っていた」と指摘。米艦船が5海峡を通過しても「核持ち込み」とならないよう、あえて領海の幅を狭める意図が外務省にあったことを明らかにした。【朝日弘行】

 村田 良平氏(むらた・りょうへい)1929年生まれ。京大法学部卒。52年外務省入省。外務事務次官、駐米大使、駐独大使などを歴任。

 【ことば】日米の密約

 核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過を認める密約のほか、69年の沖縄返還交渉で「有事の核持ち込み」を認めた▽71年の沖縄返還協定で米国が払うべき「400万ドル」を日本側が肩代わりした−−などの密約も発覚。いずれの密約の存在も日本政府は否定し続けているが、関係者の証言や米側の公文書などで裏付けられ「公然のうそ」との見方が定着している。



【関連記事】
米核持ち込み:密約文書証言 官房長官が内容を否定
沖縄密約の佐藤元首相は 発信箱:幻の「悪人」論=伊藤智永(外信部)
沖縄密約開示訴訟:国側「文書保有せず」 初弁論で争う姿勢−−東京地裁
ことば:沖縄密約事件
1972年の外務省機密漏えい事件を基にした小説… /奈良
毎日新聞 2009年6月29日 2時30分(最終更新 6月29日 14時28分)



朝気がついたニュースで、家に今帰ってきてチェックしたら、すでに、【関連記事】のところにある「官房長官が・・」の記事がアップされていた。

ついでに引用しとこう。

米核持ち込み:密約文書証言 官房長官が内容を否定
 河村建夫官房長官は29日午前の記者会見で、1960年の日米安全保障条約改定時に両政府が結んだ日本への「核持ち込み」の密約に関し、村田良平元外務事務次官が毎日新聞に「歴代外務事務次官に引き継がれていた」と証言したことについて、「密約は存在しない。歴代首相、外相は存在を明確に否定している」と証言内容を否定した。

 河村氏は「(同条約が定めた)核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはなかったということに全く疑いの余地を持っていない」とこれまでの政府見解を改めて強調。村田氏から事実関係を聞くなど再調査する可能性も「政府として密約的なものを承知していないから、そこまで及ぶ話ではない」と否定した。【坂口裕彦】

毎日新聞 2009年6月29日 12時57分



時間がないのでコメントはなし。

この79歳の人が今これを言うきもちになったのはなぜかは知りたい。
posted by フタバ at 21:58 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 気になった記事メモ

2009年06月26日

相鉄、マイケルジャクソン、ファラフォーセット【追記あり】

今日は3つのニュースが目をひいた。
全然、脈絡はありません。

1)相鉄の全面スト

相鉄あすストも 分社化・転籍で労使対立


相鉄労組の総決起集会で、組合員に説明する内山委員長(左)(24日、横浜市の相鉄西横浜駅で) 相模鉄道(横浜市西区)の鉄道事業分社化を巡る労使交渉がもつれ、相模鉄道労働組合(組合員1651人)は24日の総決起集会で、26日に予定している第1波のストライキを辞さない構えを見せた。実施されれば、同社のストは2004年3月以来5年ぶりで、電車・バス全便の利用客最大約72万人が影響を受ける。

 総決起集会で同労組の内山功委員長は「どうしても交渉が駄目な場合には26日の始発から(ストに)入らざるをえない」との方針を表明した。

 一方、経営側も24日、「労働条件の向上を目的としておらず、違法な争議行為。スト実施の場合、労組への損害賠償請求や幹部への相応の対処を検討せざるを得ない」とした書面を労組に通告した。

 相鉄が取締役会で鉄道事業の分社化方針を決めたのは4月9日。直後の記者会見で経営側は「鉄道中心の価値観から脱却を図る」と説明した。

 労組への通告は前日8日の常務会後で、以来9回、労使で協議した。労組は、分社時の賃金条件は変わらないものの大勢の転籍者が出るため、「事前の合意が必要」「将来の労働条件が社籍により異なる可能性がある」などと主張。折り合わないまま、分社化の議案が決議される定時株主総会の日の26日と、7月4、5日に終日ストを設定した。

 相鉄の枠組みは、以前からあった関連の休眠会社を「相鉄準備会社」とし、労働契約承継法に基づいて労働条件を変えないまま1602人のうち1117人を同社に転籍させるというもの。同法では、転籍する社員に対して通知するだけで同意は要しないとしている。

 労組側は5月、持ち株会社をつくって本体の鉄道事業から社員を出向させる案を提案したが、経営側からは「効率化が図れない」と一蹴(いっしゅう)された。

 人件費削減をめぐる04年のストでは、日曜日の早朝に約2時間半行われ、影響も約4万4000人だった。今回の26日は平日のため、影響を受ける最大約72万人の多くは通勤・通学客が占める。振り替え輸送は行わない。問い合わせは相鉄お客様センター(045・319・2111)へ。

(2009年6月25日 読売新聞)




バス以外、本線もストってすごい。72万人てすごい。振り替え輸送もおこなわないってすごい。



しかし、結局、

相模鉄道スト解除、電車・バスとも運行開始2009年6月26日7時9分

 相模鉄道労組は26日、始発の4時45分かしわ台発各駅停車横浜行から突入していた電車、バスのストライキを解除

ということで、メインの通勤電車時間には、解除したようだ。

結局途中で解除したとはいえ、2時間ほどはストを決行したわけで、相鉄の労働組合は強気だ。
でもそれくらいしないと経営陣というのは動かないと思う。

ただ、鉄道の場合、とくに通勤に使われている鉄道の場合、ストをやるなんてけしからん今後自分は二度と相鉄に乗らないぞ!と決意実行できる人が多くない、というのがミソだと思う。
もんくいいながらも、翌日も通勤には使うだろう。
これがサービス業関係だったら、ストによる店の臨時休業といったことがおきたら顧客が離れて経営がたちゆかなくなる可能性だってある。
すくなくとも日本では、「世間様に迷惑をかける」ことはすごく悪いこととしてとらえられがちで、自分と同じ労働者が苦境を抜けるためにがんばっている、と解釈しないだろうから、サービス業はスト行使むずかしそうだね。

2)3)ファラ・フォーセット死亡。マイケルジャクソンも死亡?

M・ジャクソンさん、病院に搬送され死亡…米メディア
 【ロサンゼルス局】米紙ロサンゼルスタイムズ(電子版)は25日、歌手のマイケル・ジャクソンさん(50)が呼吸停止状態でロサンゼルス市内の病院に運ばれ、死亡したと報じた。

 同紙によると、同日午後12時25分(日本時間26日午前4時25分)ごろ、市内のジャクソンさんの自宅から通報があり、救急隊が駆けつけた。ジャクソンさんは息をしておらず、救急隊が心肺蘇生術を行って病院に搬送したという。

 一方、CNNテレビは、ジャクソンさんは昏睡(こんすい)状態だとしている。

(2009年6月26日07時30分 読売新聞)


ほんとはどっちなんでしょうか。
先に、

ファラ・フォーセットさん死去 チャーリーズ・エンジェルなどで一世を風靡
2009.6.26 02:14


ファラ・フォーセットさん=2006年8月13日(AP) 【ニューヨーク支局】米CNNによると、1970年代に米国などで放送された人気テレビドラマ「チャーリーズ・エンジェル」に主演し、セックスシンボルとして一世を風靡(ふうび)した女優、ファラ・フォーセットさん(62)が25日、死去した。

 フォーセットさんは末期がんの闘病中で、22日には長年交際を続けてきた俳優のライアン・オニールさんからの求婚を受け入れ、結婚することが明らかになったばかりだった。


こちらのニュースをみていて、ほお・・と思っていたら、「マイケル・ジャクソン」の文字も目にはいり、マイケルジャクソンてマイケルジャクソン?と思わず読み返す。

ファラは、チャーリーズエンジェル人気の頃、「ファラにして!!」と美容院で言って髪型をまねた女性もいたはず・・っていうそういう人気だった記憶が。

マイケルは、よく有線でながれている「恋のABC」での歌声がほんとにかわいいし、「スリラー」もよかった。って、ほんとにメジャーな部分しかしらないし、あとは色を白くしたがったとか、そういう有名ゴシップしかしらない。
大丈夫なんでしょうか。
今日の終わり頃には、はっきりするでしょう。


【追記】
マイケルはほんとに亡くなったのだった。
そして、色が白くなったのは、病の症状だったらしい。
でもそういえば私も、「これはそういう病気なのである、とマイケルが言った」という記事を目にしたことがあったのを思い出した。申し訳ない。
昔、日本の芸能人で、山口百恵さんという人が大変話題となっていたことがあり、いつもひねくれものの私フタバは、「なんかさあ、私は全然関係ないのに、なぜ日本全国こぞって彼女に注目してるような言い方するわけ?」と思っていた。
マイケルは、山口さんにくらべれば、「スリラー」のMVとかおもしろかったし、興味を持てる存在だったけど、本来の仕事内容(歌ったり踊ったり)以外のスター的ゴシップにほんとに興味がないのでね。
でも本人が本人についていっていることについては、やはり耳を傾ける価値はある。
ソーリー&RIPマイケル。


posted by フタバ at 07:43 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 気になった記事メモ

2009年06月24日

「米国の元捕虜に謝罪した藤崎駐米大使」

6/24付「天木直人のブログ」より。

アメリカの対外政策というのはほんとうにすごいと思う。
すごいというのは素敵だという意味ではもちろんないが、とにかく、自国のため(というか自国内にいる一部の人間のため)に利用する相手でしかないのだ、外国は。

やりかたはいろいろで、いきなり爆撃して好き放題やる、というのが短期決戦型で、長い間時間をかけてむこうが自主的に「アメリカ」のために動いてくれたりするようになるまで「育て」る、というのもある。
日本は、後者の方の育て方をされた国で、そして、「アメリカ」からみたら、ほんとにうまく育ってくれた国のひとつじゃないだろうか。

その「アメリカ流子育て」ならぬ「アメリカ流属国育て」の手段のひとつとして、天皇制は残されたのだと思う。

と、今日も考えとちゅうのメモ。

posted by フタバ at 06:45 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 過去の戦争をめぐって

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